アラ還原付日記(仮)

カブに乗ったらこうだった! 制限時速30kmで考えるアラ還からの生活。文学フリマ東京に出品する『アラ還原付日記(仮)』の試し読みブログです。

episode 028 菜の花台目指して246に挑む

★アラ還原付日記(仮)その2「生まれ変わってもカブに乗れたら」の一部をご紹介しています★

 

2020年11月13日(金)
宿願の! 菜の花台に! 行ってきた!!(五七五・笑)

遙かなる菜の花台

菜の花台は、神奈川県秦野市丹沢大山国定公園の一角にある展望スポットだ。国道246号線から名古木という交差点で県道70号に入り、ヤビツ峠へ向けてひたすら上っていくとその途中にある……らしい。

246を50ccの原付で走り抜く。
そんな根性は私にはない。
なので、246からどう行くかという情報は役に立たない。いかに246を使わないで行くかが問題だ。

去年行った震生湖がそうだった。
同じ秦野にある震生湖は、菜の花台と同様、県央の我が家からは名古木まで246で行くのがいちばん手っ取り早い。でもそれはできないので、ああでもないこうでもないと非246ルートを工夫した。そして、過去最大級の迷走の果て大都市平塚に迷い込んでしまい、万事休すとなってすごすご引き返した。
それでもやっぱり246で行こうという発想だけはなく、日を改めて同じ道順で再チャレンジ。2度目にしてようやくたどり着けたのである。

それはそれで、思い出深い旅ではある。が、また行ってみたいとは、正直思えない。あんな難儀は一度で十分だ。
菜の花台も、それくらい難儀な行き先だった。
何でそんなところにそんな魅力的なスポットがあるのか、まことにしゃくである。

ところがその後、諸先輩のブログやネット記事から、246も厚木あたりまでは殺人的交通量だけれど、伊勢原以西なら何とか走れるようになるという情報をキャッチ。
菜の花台。目指してみよう、と決意したのはそれが決め手だった。

もっと遙かなる菜の花台

とはいえ、246に出られるところまでは、非246ルートを模索せねばならないことに変わりない。
座右の書、ライトマップルを広げてみると、県央から伊勢原へ行くのはそんなにむずかしくなさそう。相模川を渡り県道63号をとらえて厚木市内を南下すると、伊勢原との市境を越え246と交わるまでひたすら直進でいいようだ。
けれど、安心するのは早い。
震生湖だってライトマップルで予習すれば行かれるつもりだったのだ。なのに迷走したのだ。
私に足りないものは何だったのか。

予行演習だ。ここまで来れば何とか、と見通しの立つところまで、実地に走って道を確かめておくことだ。迷走に1日、再チャレンジに1日費やすくらいなら、予行に1日、本番に1日費やすほうがずっと建設的だ。

天気予報と相談して日程を決め、予行に出かけた。
迷走した。
厚木を経て伊勢原に入り246に出るはずが、予習した右折ポイントが見出せないまま厚木市街に突入しゲームオーバー。何だろう、この既視感。震生湖行きで迷走した時がこうだった。あれ~右折するとこまだかな~ととまどいながら直進し続けた末、平塚市街に迷い込んでゲームオーバーだったのだ。
それから1年になろうというのに。進歩なさすぎ。

罠との闘い、時間との闘い

いや、進歩ならあった。予行演習をした。予行なんだから、迷走は失敗じゃない。原因をつきとめ、本番の糧とするまでのこと。
何で右折ポイントを見落としたのか。ストリートビューで復習してみると、衝撃の事実が判明した。その信号には、対向車線側から見ると、予習したとおりの交差点名が書いてある。しかし私の側から見ても、何も書いてなかったのである。

えぇー。こんなこともあるんだ。公道に罠は尽きまじ。
無事246に出られるまで、この先にもまだまだ、いろんな罠やフェイントが仕掛けられているのであろう。できればもう1回、予行に行きたい。

だがしかし、去年学習済みのことではあるが、秋は天気が悪い。意外と悪い。「秋晴れ」なんて言葉があるもんだから、ミドリに乗り始めるまで半世紀以上騙されてたけど、我が神奈川の場合でいえば、梅雨時より秋のほうがよっぽど降水量が多い。
1回目の予行さえ、雨雲の隙間を突いてやっと出かけることができたのだ。こんなペースじゃ肝心の本番にいつ出かけられるかわからない。

もう1つ。夏に第2波のピークとなった新型コロナウイルスは、8月後半から次第に下がり、9月、10月と小康を保っていた。これがまた冬に向けて再々拡大し始めたら、遠出なんか諦めて家にいたほうが身のために違いない。
行くなら今のうち。事態は私が思っているよりずっとシビアな時間との闘いかもしれないのだ。

よし。行こうミドリ、菜の花台へ。また迷走しちゃうかもしれないけど。人生は予行のためじゃない、本番のためにある。菜の花台が遠かったのは道がわからないからじゃない。出発しなかったからなんだ。

本番は未来への予行演習だったのだ

予行でつまずいた右折ポイントは無事クリアした。
それでも正しい道を行っている確信は持てなかった。
大丈夫、合ってる。と思っても、しばらく進むとやっぱり怪しい気がしてくる。
無事246に出られたのは、案内標識を参考に半信半疑で進んだら結果的に合っていたという幸運の積み重ねだった。

考えようによっては、いや、よらなくても、案内標識を見て進んだら合ってなきゃおかしい。
けれど、私はごく最近まで、そもそも案内標識を見るということができなかった。
運転中、目の高さより上に視線を向けるなんて、怖くてできない。
それをいうなら信号だって目より上だが、信号は見ないと大惨事。それに対し、案内標識は見なくても死なないし違反でもない。命にかかわらないものにまで目を配る余裕はとうていなかった。
それを見ることができ、しかも、走りながら適切な判断をして、正しい道を進めるようになったなんて。艱難辛苦の賜じゃないか、ミドリ。

246に入ってしまえばあとは名古木で右折するのみ。
恨み重なる右折ポイントだが、名古木は大きな交差点で見落としようがない。
ちなみに交差点のローマ字表記はNaganukiとあった。ながぬき。それは読めない。勉強になった。

県道70号はよく整備された走りやすい道で、民家も多く、先に峠があるなんて想像がつかないほど開けていた。
だが蓑毛橋という橋を過ぎると様子は変わってくる。
一本道なので迷うはずはない。そう思うと気は楽だけど、道はどんどん細くなり、「動物が飛び出すおそれあり」の標識を初めてリアルで見るなど別の意味の心細さが。進行方向左が崖っぷち側なので、気をしっかり持たないとふらふらそっちへ寄って行ってしまいそう。景色を楽しむどころじゃない。こんなところで事故ったら誰にも見つけてもらえない。
車は少ないが自転車はよく見た。ああ人がいる、と心強かった。
ロードバイクっていうの? 速いですよね。上り坂なのにどんどん追い越していく。こっちは原動機で走ってるのに、経験したこともない長い上りで失速気味だ。
いいよミドリ、ゆっくり行こう、前だけを見て。景色を楽しむのは目的地に着いてからでいい。

ある地点を越えたらすぅっと空気が変わった。
山の空気だ。温度、湿度、匂い、一呼吸ごとにわかる。
なるほどー。目に見えるものがすべてじゃない。肌身に感じるものっていうのがあったんだ。

正午過ぎ、菜の花台到着。
眼下に秦野市街、遠く相模湾、展望台からは意外な近さで富士山が。
ずいぶん上ってきたなぁ。私たちがんばりましたよね、ミドリ。

バイクは、専用の置き場はないけど、20台分ほどある駐車場の空いてる枠に適宜駐めて問題なしだった。
もっと上を目指して行く車やバイク、そして自転車も多いようだ。この菜の花台は、目的地というより中継地、休憩ポイントという役割なのかもしれない。

いやもうここまでで十分です、私は。本番当日なんて添えものにすぎないくらい長い道のりだったしね。
でも今回は、一度で十分、とは思ってないかな。また来ることもあるかもしれないし、もっと上まで行ってみたくなるかもしれない。
ある意味、今日は、ほんの予行演習。本当の本番はまだ先かもだ。

 

episode 025 エンストの記 ~納車1年

★アラ還原付日記(仮)その2「生まれ変わってもカブに乗れたら」の一部をご紹介しています★

 

2020年9月10日(木)
あなたは想像したことがあるだろうか。交差点の右折レーンでエンストして呆然とその場に固まってしまったのろまな原付初心者おばさんの気持ちを。私は考えたこともなかった。自分がその立場になるまでは。

悪夢の右折レーン

納車1周年も目の前というのに、右折はちっとも上達しなかった。
だって、道路の左端を時速30kmで走るじゃないですか。後続車は50kmとかそれ以上で次々と追い越していくじゃないですか。
どうやって右折レーンに出ろと。

買い出しの帰り、最後の右折ポイントをクリアすれば家はもうすぐというところまで来て、右折しそびれてしまったのだ。
仕方なく、次の交差点を狙うことにした。そこが本当に最後の右折のチャンス。逃したらとんでもなく遠回りをしないと家にはたどり着けない。9月10日というより8月41日といいたくなるような炎天下、これ以上無駄な回り道はしたくない。

運良く後続車が途切れ、右折レーンに移ることができた。
信号が赤なので停止した。青になったので、前の車に続いて進もうとした。
その時ですよ。

スロットル手応えなし。
え? えぇぇ?? ミドリ進まないんですけどーーー!!

そういえばいつの間にかエンジンが止まってる。
スタータースイッチを押しても、すかかかか……と虚しく空回りするばかり。
直進レーンは車がびゅんびゅん流れて道路の端にも戻れない。もしかしたら私の次にも右折を待つ車がいて、何やってんだこいつと思われていたかもしれない。けどうしろのことになんて1ミリも気が回らない。
しばしパニックのあと、対向車が途切れた隙を突き、降りて押し歩いて右折。

道端にミドリを駐め、あらためてスタータースイッチに挑む。
すかかかか……。
沈黙。
すかかかかかか……。
沈黙。

これがエンストというやつか。

そんな話は聞いてない。カブは丈夫で故障知らず、サラダオイルでも走るっていうじゃないの。それが正味1年も乗らないうちに動かなくなっちゃうなんて。
嘘でしょミドリ。起きろ。目を覚ませ。

そうだ。スタータースイッチ(指で押す)でエンジンがかからない場合、キックスターター(足で蹴る)を使えばかかるかも、と聞いたことがある。
バイクとしてはむしろ、キック一発颯爽と走り出すほうが普通のイメージだ。制限時速30kmの原付とはいえ、乗り始める前は、私もそのようにかっこよくキメる自分を思い描いていた。
しかし、指で押すだけのスイッチがあるならそっちのほうが断然ラク。クルマが怖い、右折が怖い、坂が怖い、一方通行が怖い、公道には怖いものがいっぱいだ。エンジンくらい楽にかけたいよ。というわけで、今日までキックでかけたことは一度もなかったのである。

まさかこんな局面で初の試みをするはめになろうとは。
たたんだ状態から引き出したことのないキックペダルを引き出し、ふんっ、と足を落としてみた。

すかっ。

すかっ。

すかっ……。

すかかか、ですらない。まるで手応えがない。試み自体が初めてなので、自分のやり方がまずくてかからないのか、それとも、どうやってもかからないのか、その見極めもつかない。

終わった……。

清き一票の行方

不幸中の幸いとしては、ここから家までなら何とか押して帰れそうなこと。
1つ前の右折ポイントだったら、そうはいかなかった。その先はとんでもない上り坂で、交通も激しく駐めて休める場所もなく、とてもじゃないがミドリを押し上げることはできない。本体だけで96㎏。リアトランクには残暑の友・ソルティライチの1.5リットルペットボトルを始め、数日分の食糧がぎゅうぎゅうに詰まっている。もちろん、背中のリュックにもだ。
こっちの道も上り坂ではあるのだが、1つ前の急坂に比べれば坂のうちに入らないほどのゆるやかさ。交通量も格段に少ないし、いまだ青々と夏の葉を広げる桜並木が日陰を作ってくれている。助かった。あとは心頭滅却して押し歩くのみ。がんばれミドリ、がんばれ自分。

が……。

いくらゆるい勾配とはいえ、上り坂は上り坂。重い。暑い。人間の体からこんなに汗が出るのかというほど汗ダラダラ。そりゃヘルメットに長袖ジャケット、グローブだもの。並木の日陰でどうにかなるもんじゃない。
気持ち悪くなってきて、ミドリを駐めて休んでいると、街宣車が近づいてきた。

折しも我が市は市長市議選を目前に控えていた。
現職市長の街宣車だった。四選を目指しての立候補だ。12年前、初出馬の時は投票が行われたが、あとの2回は無風で当選している。今回は新人が立候補を表明しているので選挙戦となる予定だ。長く市議を務めてきた女性で、私はその人に入れようと思っていた。

しかし。もし今、あの街宣車が止まってくれたら。
「どうしました?」と優しく声をかけ、手を貸してくれたら。
投票するよ。絶対投票する、現職市長に。こんなことで投票先を決めるのはあとにも先にも初めてだが、背に腹は代えられない。ここで行き倒れになるよりよっぽどましだ。

そんな私と、そしてミドリに一瞥もくれることなく、街宣車はゆっくり通り過ぎて行った。やる気のなさそうな運動員が音声を流しながら黙々と運転しているだけであった。

危ない危ない。つまらんことで清き一票を台無しにするとこだった。投票と引き換えに手を貸してもらおうなんてカブ乗りの風上にも置けぬ見下げ果てた根性。というか、手を貸してもらったら心から感謝すればよく、投票するかどうかは別の話でいいんじゃない?

気を取り直し、再びミドリを押し歩く。長くなだらかなこの坂さえ越えれば、残る道のりはせいぜい百メートルだ。
だが、坂は最後のところで急勾配になっていて、そこだけがどうしても越えられない。
ここまでだな、ミドリ。
私はスマホを取り出し、家で留守番している息子に電話した。

全力で直進せよ

大学3年の息子は、春以来のコロナ禍によりずっとリモート授業。
対面授業がない代わりに課題がいっぱいあり、新学期開始が遅れた関係で夏休みも短めらしい。そのうえ今日びの大学生は3年のうちから就職活動があるそうで、いつどんなところとオンラインでつながっているかわからない。
なので不意の呼び出しは極力控えたかった。が、親がこんなに大変な思いをして食糧を運んでるんだ。百メートルくらい出てきてくれても罰は当たらないと思うがどうだろう。

幸いにも電話はすぐつながった。事情を話し、今どのあたりにいるかを説明する。

ミドリに乗り始めて自分が少しでも進歩したと思えるのは、道順の説明だ。
それまでの私は、道順というものをぼんやり景色で覚えるのみで、自分では行かれても人には説明できないことが多かった。
でも、ミドリに乗って未知の道を行くには、県道*号を直進、**交差点を右折……と要所要所を押さえていかないとたちまち迷走する。それで次第に道順を「直進」「右折」「左折」で認識するようになった。

そうすると、人にも説明しやすい。
現在地まで息子に来てもらうには、小学生の頃、登校班の集合場所だったところを起点に説明するのがわかりやすそうだ。そこからは直進+左折1回でものの2分もかからないはず。

「わかった!」

やった。通じた。もうすぐ加勢が来るぞ、ミドリ。

ところが待てど暮らせど息子は現れない。
そんなに時間がかかるはずはない。再び電話してみると、息子はハァハァ息を切らしながら、

「おかあさんどこにいるのー(泣)」
「そっちはどこにいるの!」
「えぇーわかんないー」
「何が見えるか言ってみなさい!」

登校班の集合場所を起点に、息子はアサッテの方角へ全力で直進していたことが判明した。
単位は、卒論は、就職は、だいじょぶだろうか、不安……。

ようやく家へたどり着き、しばらく床に倒れ込んだあと、バイクショップに電話。ちょうど12ヵ月点検のハガキをもらっていたところでもあり、引き取り、修理、12ヵ月点検、オイル交換をまとめてお願いしてみたらOKということに。ただし引き取りは今日の明日とはいかず、来週月曜になるとのこと。

2020年9月14日(月)
ミドリをフクピカで磨きながら待っていると、バイクショップの軽トラが引き取りに来てくれる。なんと、整備士さん直々。限られた人数で回してるのね。
そのわりには情報の共有がいまいちで、「12ヵ月点検」と「オイル交換」は伝わってたけど肝心の「エンスト」が伝わっていなかった。再度状況を説明すると、後刻電話で診断結果を知らせていただけることに。

ミドリは軽トラに積まれドナドナされていった。いや、ドナドナではないのだが、なんかそれはそういう哀愁に満ちた光景だった。

3時間ほどで電話があった。以下、概略。

・エンジンは一応かかった。
・しかし調べてみるとエンジン内部の汚れが原因であることが判明。
・エンジン内部の汚れは、
 ①短距離しか乗らない
 ②ガソリンを口切りいっぱい入れがち
 ③傾斜のあるところに駐輪しがち
 などの原因で生じやすい。
・部品を取り寄せて修理するので日数がかかる。
・保証期間内なので無料だが自費だと3万円くらいかかる。

ひぇぇ。
「自費なら3万」もひぇぇだけど。
汚れの原因とされる①~③、心当たりありすぎでびっくりだ。

まず①、短距離しか乗らない。これはまさに、コロナ禍以来遠出も諦め、ほぼ食料品日用品の買い出しにしか乗っていなかったことによる。
よく行くドンキが片道2km、地元イオンが3km、気晴らしに隣町イオンまで足をのばしてもせいぜい7km弱。そんな不完全燃焼な乗り方をかれこれ半年も続けてきたのだ。それが汚れの原因になるなら、そりゃ汚れまくりもしようというもの。

次に②、ガソリン口切りいっぱい。はいはいはい、いつの頃からかチャレンジしちゃってました。だって、少しでも先延ばしにしたいじゃないですか、次の給油。それにはなるべく限界まで入れとかないと。
それに、スーパーカブ50の燃料タンク容量は4.3リットルということになっている。すっからかんになるまで乗って給油すればそれだけ入る理屈だ。けど実際には、燃料計がEの字にかかるまで(ハラハラしながら)乗っても、3リットルちょいしか入ったことがない。もうちょっとがんばってもうちょっと入れられないもんかと、つい闘志を燃やしちゃうんですよね。

そして③、傾斜のあるところに駐輪。ずばり、毎日ミドリを駐めている我が家のカースペースが傾斜付きなのだ。洗車の時、水が流れて行きやすいように設計されたのだろう。うちには車はないので、そこはミドリの専用スペース。かれこれ1年、真ん真ん中に堂々と駐めていた。
家屋寄りのほうなら、少しは水平になってるんだけど、そこにはがらくた(古いプランターとか)がたまっていて、長く見て見ぬふりをしていた。

そうかー。そういう扱いを続けていると早晩エンストしちゃうのか。さっそく対策せねば。年1ペースで右折レーン立ち往生とか怖くて乗れないですから。地獄の押し歩きも二度と御免だ。

2020年9月18日(金)
夕方、バイクショップから電話。エンジン修理、12ヵ月点検、オイル交換すべて完了とのこと。明日取りに行く。

2020年9月19日(土)
元気になったミドリと5日ぶりの再会。
カースペースのがらくたを整理して、水平なところに置けるよう改革する。

2020年9月20日(日)
市長市議選投開票。
現職市長は五千票以上の差で新人候補に敗れた。

2020年9月23日(水)
祝・納車1周年!!

 

2022.11.20. 文学フリマに出店しました。

 

ここまで書いてきた原付日記を加筆のうえ冊子にまとめ、『アラ還原付日記(仮)その1 崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る』として、去る11月20日文学フリマ東京35に出店して参りました。

 

 

 

文学フリマ | 文学作品展示即売会

 

文学フリマには2017年11月の第25回東京から何度か足を運び、いっぺん出店してみたいなとずっと思っていたので、実現できて嬉しいです。
その年は原付免許を取得した年でもありましたが、当時はまだ実際に乗るつもりは全然なかったので、よもや5年後原付日記で出店することになろうとは、運命はわからないものです。

見ず知らずの私からお買い上げくださった方、旧知のよしみでお買い上げくださった方、ご関心をお持ちくださった方、お世話になった事務局の皆さま、ありがとうございました。

カブに乗り続ける限り日記は続けたいと思います。
そして、ネットには書かなかった・書けなかったトピックも加筆のうえ「その2」「その3」...と冊子化していけたらと思っています。

これからも「アラ還原付日記(仮)」をどうぞよろしくお願いいたします。

2022年11月30日

 

 

episode 024 信号が消えた道の向こうに ~納車326日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2020年8月13日(木)
雷雨が止むのを待って買い出しに出かけたら、交番前の交差点の信号が真っ暗! 落雷の影響? なのに前を行く車はどんどん進む。みんな何を見て進んでいるの?! と思ったらおまわりさんが数人がかりで交通整理をしていた。

信号が働いているのは当たり前じゃなかった

消えた信号を見るのは初めてではない。
東日本大震災の時はうちのほう(神奈川)でも消えた。けど、当時は自分が運転するわけではなかったので、歩行者として道を渡る時だけ気をつければよかった。
何といっても、あれだけ揺れれば信号くらい消えてもしょうがない。次々と報じられる被災地の衝撃的な被害状況を思えば、家も道路も無事な町で信号だけ消えたところで、それほどまでに大変なこととは思えなかった。
逆にいえば、あんなことでもなければ信号なんてそうそう消えるもんじゃないと思っていたのだ。

それが、カミナリで消えるとは。
しかもそこへ原付に乗った自分が通りかかる日が来ようとは。

「かもしれない運転」というのはあるが、次の交差点では信号が消えているかもしれない、なんて考えたこともなかったし、当然、心の準備もない。
矢印信号とかむずかしくて先頭になっちゃうとドキドキするよね、と思ったことはあっても、信号が消えていてドキドキするのは初めてだ。

おまわりさんが来てくれていたから助かったようなものの、これ、おまわりさんが来るまではどうしていたのだろう。
交番のそばだからすぐ対応できたのかな? それにしたって多少の時間差はあったはず。

そんなことを思いながら先へ進んだら、次の信号も消えていて、おまわりさんがいた。
いったいどこまで消えてるの? おまわりさんの手信号を見誤って、止まるべき時に進んでしまったりしたら速攻捕まるのだろうか。不安。

3つめの信号はやっと正常に働いていた。
やれやれ助かった。赤、黄、青なら見誤りようがない。信号によって並び順が違うわけでもなし。実によくできてる。信号って偉大。

原付運転心得之條

にしても、よく大惨事にならなかったな。
ドライバーの人みんな偉い。一歩間違えば死傷者が出るばかりか全方位に渋滞が起き、うしろのほうからじゃ何があったのかわからないまま延々と車列が伸びて収拾がつかなくなる、なんて事態も招きかねなかった。

そういえばラジオを聴いていると、道路交通情報でよく「事故渋滞」と言っている。そういうことは日々至るところで起きているのだろう。原因が突然の信号ダウンかどうかの違いだけで。

原付なら、最悪、エンジンを切って押し歩けば歩道を通ってでも離脱できる。
けど大きいバイクは押し歩くのも難儀だろうし、車は乗ったまま何とかなるのを待つしかない。さすが、免許を取るまでに何十時間もの教習を受けるだけのことはある。それだけ原付には計り知れない大変な乗り物を運転してるんだ。

ペーパーテストだけで、1日で免許が取れてしまう原付は、その分何倍も何十倍も、謙虚に慎重に乗らなきゃいけないのだと思う。

消えた信号の向こうへ

実はミドリに乗り始めてわりと早い段階で、小型二輪免許を取りに行こうかな、と思ったのだ。
小型二輪免許があれば、125ccまでのバイク(原付二種)に乗ることができる。
よくいわれるように、50cc以下(原付一種)では時速30kmと二段階右折の制約がつらいというのもある。けどそれ以上に、いっぺんきちんと教習を受けなきゃどうにもならないのでは、と感じたからでもあった。

ちなみに、小型二輪免許を取るにあたり、普通免許を持っていれば教習が短縮されるが、原付免許があっても何も免除されない。およそ運転免許と名のつくものを初めて取る人と同じスタートラインだ。それくらい、原付免許だけ持ってたって何も知らないし何もできないのだ。

普通免許を取るかどうかで迷った時は、結局ヤーメタとなった。そのことを後悔もしていない。もともとなくて済んでいたものが、今もこれからも必要ないだけのこと。
でも、原付にはすでに乗ってしまっている。「免許なし」からみた「普通免許」に比べて、「原付免許」からみた「小型二輪免許」は、少なくとも気持ち的にははるかに近い、リアリティのある目標だ。

だがしかし、もし取れたとしてどうする。スーパーカブ110とかC125、あるいはクロスカブ110に乗り換えるの?
いや、乗ってみたいよ、乗れたらいいなとは思うけど。

ミドリを手放すことは考えられない。

長くはないことが初めから決まっている自分の原付ライフ、最後までミドリとすごすつもりなら、上位の免許は必要ない。実際に使う気もない免許取得に本気になれるものだろうか。

とつおいつ思案に暮れるうち、新型コロナの流行が始まり、緊急事態宣言とともに自動車教習所も臨時休校。
その後も、「密」を避ける移動手段として二輪がにわかに注目され、入校に待ちが出たり、教習予約も奪い合いになったりしているらしい。
ですよね、通勤とか死活問題だし……これはとても不要不急の私が参戦できる状況じゃない……。
この件は保留だ、保留。
そしてそれはいつまでのことかわからない。

なんかね、もう、コロナを境にすべてが、消えた信号の向こうへ行っちゃった感じ。
ひまわりはまた咲くのか。
お笑いライブは見られるのか。
自由に好きなところへツーリングに出かけられるのか。
キャンプスポットで淹れたてのコーヒーを飲めるのか。
スタンプラリーには行かれるのか。
またみんなで集まれるのか――

信号の消えた道を乗って行くのだ。
時々、エンジンを切って押し歩いてみたりしながら、それでも進むのだ。
制限時速30kmで。

納車からもうすぐ1年。

 

episode 020 緊急事態宣言 2020年4月 ~納車217日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2020年4月26日(日)
終日籠城。最低限の買い物のほかは書店もだめ映画館もだめ百均もだめ日帰り温泉もだめ……と思うとなんかもう籠城してるだけで疲れる。

インドア派の真実

新型コロナウイルス対策のため、我が神奈川を含む7都府県で発出された緊急事態宣言は、16日、全国に拡大された。
生活の維持に必要な場合を除く外出の自粛、感染の防止に必要な協力、学校の休校、多くの人が集まる施設の使用制限などがその眼目である。

外出を控えると褒められる日が来るとはね。

大丈夫、まかして。
私は家にいるのが大好きだ。
こんなことで自分の身が守れるなら、そして、少しでも世の中のお役に立てるなら、いくらでも閉じこもるよ。

……のはずが。
自分がインドア派(または出不精)だなんて、もしかして壮大な錯覚だったんじゃ。
籠城生活が長引くにつれ、しきりにそんな気がしてきたのだ。

「家にいる」とは、いつでも、どこにでも、自由に「出かける」という選択肢があって初めて楽しめること。
私だって、けっこう出かけてたじゃない? 本屋さんや映画館のほかにも、美術展とか。3月3日から国立西洋美術館で始まるはずだった、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展にも行くつもりだったんだ。延期になっちゃったけど。
あと、ほら、スタンプラリー。最後に行ったのは2月末、「横浜線・相模線重ね捺しスタンプラリー」(JR東日本)だった。重ね捺しのスタンプってきれいなんだ。1駅ずつ捺していくとだんだん図柄が現れて……って、本当に出かけるの嫌いだったら行かないでしょ普通。

出版社や作家団体のパーティにも、年に1、2度は足を運んだ。特に、息子が小さくて手がかかった頃は、何日も前からリビングのカレンダーに印をつけて自由行動日を確保、夫に留守を託してるんるんと出かけましたっけ。あちこち寄り道しながら行くのも楽しかった。うん、楽しかった。だからこそ家でもがんばれたんだ。

まだ息子が生まれてなかった頃、夫とよく野球を見に行ったのも楽しかった。
家族旅行も楽しかった。
遠くへ行くだけが能じゃない。近間の日帰り温泉も楽しかった。露天風呂っていうのも、あれ、一種のアウトドアじゃないですかね? 気持ちいいですよね。

何のことはない、楽しかったことって出かけたことばっかりじゃないの。

コロナの町をカブで行く

最低限の買い物以外、どこも行くところがないとなると、残された楽しみは「ミドリで最低限の買い物に行く」くらいですかね。
実際問題、なるべく外出を減らすには、1度の買い物で大量の食料品日用品を持ち帰らねばならない。買い物というより買い出しといったほうがふさわしい。
籠城生活ではとりわけ米とトイレットペーパーが怖ろしい勢いで減る。自転車の前カゴに載せて坂道を上ったり下りたりするのは電チャリでも厳しい。車を持たない我が家で最強の乗り物、ミドリの力が必要だ。

緊急事態宣言下の町は、普段に比べて車は少ない印象だが、自転車やバイクは増えているようだ。まぁ、そうですよね。自分がそうだし。
あと、ジョギングしてる人。ですよね。ジムだって閉まってるし、ほかに運動する場所がない。
走っている人は普通の歩行者より動きが速く、急に車道に下りてきたり道を渡ろうとしたりするので要注意であることを学習する。

ガソリンスタンドに寄ったら計量機に使い捨てポリ手袋が備え付けてあった。

スーパーはごった返していた。こりゃーレジは長蛇の列だなと思うと案外そうでもない。スーパーしか開いてないならスーパーへ、と、家族で、友達同士で気晴らしに来る人が多いのでは。
役所やメディアの「買い物は可」という表現が悪い、「買い物は代表者が1人で」と呼びかけなきゃ、という意見をTwitterで目にしたことがある。なるほど、「買い物は可」というと「買い物では感染しない」と保証された気になってしまう。
しかし現実には子どもを置いて出られない家庭もあるし、家族が多ければ多いほど荷物も1人じゃ持ちきれない。買い物は1人でっていうのも、それはそれで机上の空論なのではと思う。

リアボックスに限界まで荷物を詰め込み、リュックもぱんぱんにして帰途へ。
重い。怖い。けどもう自転車には戻れない。頼むよミドリ。

メロディホーンが聞こえる

やがて買い出しだけではもの足りなくなった。1人で、黙ってミドリに乗る分には、どこへ出かけたっていいのでは、と思えてきた。

考えることは皆同じで、湘南海岸など県の内外からクルマが続々とやってきて大変なことになっているらしい。
海までドライブとかならオッケーでしょ? ったってそこに集中すれば同じことですわな。

なら、宮ヶ瀬なんかどうだ。うちのほうじゃ小学校の遠足でもよく行く宮ヶ瀬ダム、ツーリングの定番としても知られていて、そのうち行ってみたいと思ってたんですよね。
だがしかし、ここもクルマとバイクで(以下同文)。
いや、もう、この状況で「どこなら出かけられるか」という料簡が間違ってますわ。いいよ、諦めるよ。ここで諦めがつくのが真のインドア派だよ。

そんなある日、郵便局へ行かねばならない用事ができた。
ミドリで行った。
コロナ対策で窓口にはビニールカーテン。
そして、一両日中にすべての局で取扱時間が短縮される、と。

なんかもう、どんどん足もとが崩れていくような……。

帰り道、近くの駅をロマンスカーがメロディホーンを鳴らしながら走り去っていった。
新宿と、小田原や箱根湯本、江の島をつなぐ小田急ロマンスカー。きっとお客さんもほとんど乗ってないと思う。それでも走ってるんだ。
あそこに幸せがある。そう思ってちょっとだけ泣いた。

 

episode 019 半年間の通信簿 ~納車183日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2020年3月23日(月)
納車半年。少しは自信を持って乗れるようになったと思うけど、あぁッ失敗した! という苦い思いをすぐ忘れるようになってきたのは問題だ。しつこく覚えていて成長の糧にせねば。

コロナの春

3月8日 第248回TOEIC L&R 中止
3月15日 モーニング娘。'20 コンサートツアー春 中止
3月22日 東京野球ブックフェア2020 中止

いやいやいや。
3月に行くはずだったイベント等、軒並み中止。

長年の中島みゆきファンである夫は、1月から始まったコンサートツアーの、3月10日のチケットを押さえていた。東京は激戦だからと、次に近い(といっても新幹線で1時間半の)愛知公演を狙って勝ち取ったのだ。
が、これも、愛知の前の大阪公演1日目を最後に中止。

悲惨なのは地元に建設中だったシネコンで、グランドオープン予定が3月6日。
いよいよ秒読みというタイミングでこの状況に見舞われ、1日も営業することなく延期になってしまった。
駐輪場も充実の施設なので、ミドリで通いつめようと楽しみにしていたのに。

それでも、ただミドリに乗るだけなら、あてもなく乗ることだってできるわけだが。
これほどまでに何もかも中止に追い込まれるような、未知の病が流行しているというのに、外へ出ること自体気が進まない。

そんなさなかに迎えた、納車半年。
走行距離は1300km弱。1000kmに達してオイル交換に行ったのが2ヵ月前だから、いかに乗ってないかである。
「少しは自信を持って乗れるようになった」という、その自信がどこから出ているのか、だいぶ怪しい。

カブと自転車

たとえばブレーキ。
カブを止めるには、前輪ブレーキ(右手)と後輪ブレーキ(右足)を同時に使うのが基本操作なのだが、とっさの時に手しか動かないことがある。
それまで50年乗ってきた、自転車の癖がしみついているのだ。自転車に足ブレーキはないですから。これは相当危ない。

自転車の癖はまだあって、停止する時、足を地面に擦って止めようとしたり、発進する時、地面を蹴って勢いをつけようとしたりしてしまう。
本体だけで96kg、自分を乗せたら×××kgのカブは、足の力じゃ止まらないし進まない。膝が痛くなるだけだ。

そのくせ、自転車に乗れば乗ったで、バックミラーやウィンカーがないのは怖いな、なんて思ってしまう。
ある時は無意識に右手でスロットルを回そうとしていた。あ、漕ぐんだったと気がついて、漕いで発進した。
自転車ですら半年でこんなにボケボケになってしまうのでは、カブなんていつになったら乗りこなせるのか、不安しかない。

唯一、多少は事態が好転したと思うのは、ミドリに乗っている時パトカーに行き合ってもあまり動じなくなったことだろうか。

納車12日目にして一方通行違反で捕まるという痛恨事からしばらくは、パトカーを見るたび「終わった」と瞑目するのが習い性になっていた。いつの間にかうしろに付かれて、バックミラーに映っていたりしたらもうパニックだ。

心の平穏を保てるようになったのは、「だって違反してないし」といえるから。
制限速度だって守ってるし歩行者優先してるし一時停止もしてるし、灯火類もちゃんと点くかどうか毎回乗る前に点検してるし、免許証も肌身離さず持っている。
一方通行にもものすごく注意するようになった。一方通行ってだいたい「自転車を除く」になっているから、自転車だけ乗ってる限りはほぼ気にする必要のないものだったんですよね。その意味では、いっぺん捕まったのが良い薬だったと思う。

つまり「自信」とは「おまわりさんに怒られない自信」?
それもどうかと思うが、半年を経て「まったく自信がありません」と言い切るのも考えものだ。「できない」を1つずつでも「できる」にするべく、精進を重ねるのみである。

乗らない幸せ

できないことをできるようにするのも大切だけど、安全のためには、できないことはしないと割り切るのも必要な気がする。

私の場合は、雨の日運転と夜間運転だ。

雨具ならある。ワークマンの堅牢なやつ。雨の日に自転車で試してみたので間違いない。
でも、自転車ならともかく原付に、雨が降っているのにわざわざ乗るなんて考えられない。降りそう、くらいでも乗らない。とりわけ遠出(当社比)には、終日晴れマークが並ぶ降水確率0パーセントの日にしか行かない。
たまに、帰り道、思いがけなく天気が崩れて降られてしまう場合がある。冷たいし見えないし滑るしで「命がけ」が何の誇張でもない。雨具でどうにかなるもんじゃない。乗らなくて済むなら乗らないのが最善の策だ。

夜間運転もそう。

3月に入り依然入手困難のマスクだが、「深夜のコンビニで買える確率が高い」とのネット情報を得、週に1、2度、真夜中にコンビニめぐりをするのがミッションになった。
ただし、自転車で。ミドリは使わない。夜道は怖い。自転車でも怖いけど乗り慣れているだけましだ。
若い頃はもっと夜目が利いたと思うんだがなぁ。乗り慣れているからこそ今の自分の限界がわかる。これじゃますますミドリは使えない。

けど、深夜のコンビニでも、マスクが買えるのは10軒回って1軒くらい。
数回行って一度も置いてなかったお店は除外し、新しいお店を開拓、などとやっていると、回る範囲がどんどん広くなる。
うちのほうは坂が多く、自転車は電動アシスト付きでないととても乗り回せない。これが途中で充電切れになると惨事。バッテリーの分、無駄に重い鉄塊と化し、平らな道を漕ぎ進むのさえ難儀になる。

たまに行き合うバイクはラクそうだな。

がらがらに空いた深夜の道をすっ飛ばしたら爽快だろうな……。

ダメだダメだ。ふらふら誘惑に負けたら事故のもとだ。
天気の良い日、明るいうちだけ乗ればいい。それはとても幸せなことのはず。

 

episode 016 年の瀬の河原でコケた乗り納め ~納車100日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2019年12月31日(火)
あらら……初ゴケ。

インドア派の変貌

ちょっと前まで、私は自分を生来のインドア派と思っていた。

家にいるのが好き、というか、出かけるのが億劫。旅行は嫌いなほうじゃないけど、出かけなきゃならないのが唯一の難点だと思う。お出かけ大好き、アウトドア大好きという人びとの気持ちはまったく理解できない。そういう価値観で半世紀以上生きてきたのだから、このままインドア派(または出不精)として一生を送ることに何の迷いもない、はずだった。

ところがミドリに乗り始めてからというもの、寝ても覚めても「いつ乗れるか」、それしか頭にない。
乗れないととても悲しい。雨が憎い。何なら晴れも憎い。乗れない日に限って無駄に天気がいいと、ああああもったいないと身悶えしてしまう。
こんなに「出かける」ことばかり考えて暮らすのは人生初だ。

夢はソロキャン?!

しかもそれだけではない。
ただ乗るだけでなく、行った先で何かをしたいという欲望がむくむくと育ってきた。
コーヒー淹れて飲むとか。ラーメン作って食べるとか。テントを張ってお泊まりするとか。

そんな楽しみがあることを教えてくれたのは、諸先輩のツーリングブログやキャンプブログ、YouTube動画だ。
うちからさほど遠くない、田代運動公園前河川敷(神奈川県愛甲郡愛川町)というキャンプスポットを知ったのも、そうしたネット情報による。
どんなところかいっぺん見てみたい。ということで、さっそくミドリを走らせたのが12月半ば過ぎ。その日を最後に天気予報は下り坂、晩秋の名残も今日までかという、快晴の1日だった。

宮ヶ瀬ダムにほど近い、中津川に面したそのキャンプ場は、管理人さんもおらず無料で開放された、ただただだだっ広い河川敷だった。車やバイクを直接乗り入れることもでき、キャンピングカーを駐める人あり、テントでくつろぐ人あり、バーベキューを楽しむ人あり。それでもまだまだスペースには余裕があって、私のような右も左もわからない素人でも違和感なく溶け込めそう。
(2019年12月現在)

端っこのほうにミドリを駐めて、途中で仕入れてきたコンビニのサンドイッチを食べ、缶コーヒーを飲む。春秋用ジャケットでも十分な陽気だが、河原のススキはちゃんと12月らしく、いい感じにぼさぼさになっていた。
やっぱりコーヒーくらいは淹れたてを飲みたいな。帰って勉強だ。どうすればアウトドアで熱々のコーヒーが飲めるのか。次に来るのは来年だな。何月頃がいいかな。
河原のススキを眺めながらしきりに算段を立てていた。

以上が、乗り納め初ゴケの伏線である。

舞い降りた天使

翌日から、予報どおり天気は崩れた。
急速に寒さが増し、暮れのあわただしさも増した。年末恒例、時間と競争で掃除や買い出しに追われる日々が続いた。

ミドリを迎えて初めての年の瀬。
近間でいいから乗り納めをして、ミドリと出会った2019年をミドリと共に送りたい。
ようやくそんな時間が持てたのは、大晦日も日没ぎりぎり。目指したのは我が市の西側を流れる相模川だった。

市街地を抜け、相模線の踏切を越え、農閑期の田園地帯を暮れゆく空に向かって突っ切ると相模川に行き当たる。
土手道をトコトコ進むと、河原に車が数台駐まっているのが見えた。

あー。こないだの田代運動公園前河川敷みたい。
ここでも何かできるのかな。ちょっと偵察したくなり、土手から下へ降りてみた。
が、どうもこないだとは勝手が違う。川底みたいな大きな石がゴロゴロして、乗ったまま進むのは無理そうなのだ。
仕方なく、押して歩くことにした。それでも水辺よりだいぶ手前で断念。水辺には釣りにいそしむ人びとがいた。そうか、釣りか。釣りはしないなぁ、今のところ。
夕空を背景にミドリの写真をいっぱい撮った。乗り納め記念写真だ。
そして、暗くなる前に帰途に就くべく、ミドリの向きを変えようとすると――

進まない。

でこぼこ石にタイヤがはまって動かない。

こ……これは味わったことのない危機。
落ち着け。ここまで来ることができたんだから、戻ることだって必ずできるはず。と、さらに気合を入れると、

倒れた。

自分と反対側に倒れていったら絶対止められないので、自分に重心を傾けて押すよう心がけていたのだが、自分のほうに倒れてきても支えきれなかった。
それでも最後まで支えようと粘ったので、衝撃は少なく、ミラーが割れたとかの目に見える破損はない。大丈夫。さっさと起こしてこの窮地を一刻も早く脱するんだ。

……が。

起こせない。

びくともしない。カブってこんなに重いの?!

あの手この手で挑んでみると、どうも問題は重量ではない。石がゴロゴロしているため、足場が不安定で踏ん張れないのだ。
何でこんなとこまで来ちゃったんだ自分。乗って進むのは無理と判断した時点で引き返せばよかったものを。
同じようなものだと思ってしまったんだよ。田代運動公園前河川敷と。何か楽しそうなことやってるんじゃないかって。

釣り人たちがちらちらこっちを振り返っている。けど、加勢に来てくれる様子はない。そうだな、そんなことしてる間に大物を逃がしたらどうしてくれるって話だ。

その時だ。

「大丈夫ですか?」

どこからともなく。本当にどこからともなく、救いの手がさしのべられたのは。

大学生の息子と同じか年下くらいの、ひょろっとした男の子だった。
一緒にミドリを起こしてくれた。そのうえ、土手に上がる道のところまでうしろから押して来てくれた。頑として動かなかったミドリは一転、この子が押してくれるなら話は別だとばかりに素直だった。

もうね、平身低頭。ありがとうありがとうありがとう。
男の子はぼそっと「気をつけて」みたいな言葉を残し、去って行った。

かくて2019年は無事暮れた。

にしても、あの男の子はなぜあのタイミングで、あんなところを通りかかってくれたのだろう。
釣り人の仲間でないことだけは確か。とすると、ほかにどういう用向きで、大晦日の夕暮れの、石がゴロゴロした河原を歩いていたのか見当がつかない。
彼の立場にすれば、私のほうこそ、何が悲しくてあんなところで原付を倒していたのか見当もつかなかっただろうけど。

もしかしたら彼は、原付初心者が困っている時、神様が一度だけ遣わしてくれる天使だったかもしれないと思うのだ。
その手にすがった者は、いつか誰かが困っている時、手をさしのべられるまでに成長しなくてはならないと思うのだ。