アラ還原付日記(仮)

カブに乗ったらこうだった! 制限時速30kmで考えるアラ還からの生活。文学フリマ東京に出品する『アラ還原付日記(仮)』の試し読みブログです。

episode 016 年の瀬の河原でコケた乗り納め ~納車100日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2019年12月31日(火)
あらら……初ゴケ。

インドア派の変貌

ちょっと前まで、私は自分を生来のインドア派と思っていた。

家にいるのが好き、というか、出かけるのが億劫。旅行は嫌いなほうじゃないけど、出かけなきゃならないのが唯一の難点だと思う。お出かけ大好き、アウトドア大好きという人びとの気持ちはまったく理解できない。そういう価値観で半世紀以上生きてきたのだから、このままインドア派(または出不精)として一生を送ることに何の迷いもない、はずだった。

ところがミドリに乗り始めてからというもの、寝ても覚めても「いつ乗れるか」、それしか頭にない。
乗れないととても悲しい。雨が憎い。何なら晴れも憎い。乗れない日に限って無駄に天気がいいと、ああああもったいないと身悶えしてしまう。
こんなに「出かける」ことばかり考えて暮らすのは人生初だ。

夢はソロキャン?!

しかもそれだけではない。
ただ乗るだけでなく、行った先で何かをしたいという欲望がむくむくと育ってきた。
コーヒー淹れて飲むとか。ラーメン作って食べるとか。テントを張ってお泊まりするとか。

そんな楽しみがあることを教えてくれたのは、諸先輩のツーリングブログやキャンプブログ、YouTube動画だ。
うちからさほど遠くない、田代運動公園前河川敷(神奈川県愛甲郡愛川町)というキャンプスポットを知ったのも、そうしたネット情報による。
どんなところかいっぺん見てみたい。ということで、さっそくミドリを走らせたのが12月半ば過ぎ。その日を最後に天気予報は下り坂、晩秋の名残も今日までかという、快晴の1日だった。

宮ヶ瀬ダムにほど近い、中津川に面したそのキャンプ場は、管理人さんもおらず無料で開放された、ただただだだっ広い河川敷だった。車やバイクを直接乗り入れることもでき、キャンピングカーを駐める人あり、テントでくつろぐ人あり、バーベキューを楽しむ人あり。それでもまだまだスペースには余裕があって、私のような右も左もわからない素人でも違和感なく溶け込めそう。
(2019年12月現在)

端っこのほうにミドリを駐めて、途中で仕入れてきたコンビニのサンドイッチを食べ、缶コーヒーを飲む。春秋用ジャケットでも十分な陽気だが、河原のススキはちゃんと12月らしく、いい感じにぼさぼさになっていた。
やっぱりコーヒーくらいは淹れたてを飲みたいな。帰って勉強だ。どうすればアウトドアで熱々のコーヒーが飲めるのか。次に来るのは来年だな。何月頃がいいかな。
河原のススキを眺めながらしきりに算段を立てていた。

以上が、乗り納め初ゴケの伏線である。

舞い降りた天使

翌日から、予報どおり天気は崩れた。
急速に寒さが増し、暮れのあわただしさも増した。年末恒例、時間と競争で掃除や買い出しに追われる日々が続いた。

ミドリを迎えて初めての年の瀬。
近間でいいから乗り納めをして、ミドリと出会った2019年をミドリと共に送りたい。
ようやくそんな時間が持てたのは、大晦日も日没ぎりぎり。目指したのは我が市の西側を流れる相模川だった。

市街地を抜け、相模線の踏切を越え、農閑期の田園地帯を暮れゆく空に向かって突っ切ると相模川に行き当たる。
土手道をトコトコ進むと、河原に車が数台駐まっているのが見えた。

あー。こないだの田代運動公園前河川敷みたい。
ここでも何かできるのかな。ちょっと偵察したくなり、土手から下へ降りてみた。
が、どうもこないだとは勝手が違う。川底みたいな大きな石がゴロゴロして、乗ったまま進むのは無理そうなのだ。
仕方なく、押して歩くことにした。それでも水辺よりだいぶ手前で断念。水辺には釣りにいそしむ人びとがいた。そうか、釣りか。釣りはしないなぁ、今のところ。
夕空を背景にミドリの写真をいっぱい撮った。乗り納め記念写真だ。
そして、暗くなる前に帰途に就くべく、ミドリの向きを変えようとすると――

進まない。

でこぼこ石にタイヤがはまって動かない。

こ……これは味わったことのない危機。
落ち着け。ここまで来ることができたんだから、戻ることだって必ずできるはず。と、さらに気合を入れると、

倒れた。

自分と反対側に倒れていったら絶対止められないので、自分に重心を傾けて押すよう心がけていたのだが、自分のほうに倒れてきても支えきれなかった。
それでも最後まで支えようと粘ったので、衝撃は少なく、ミラーが割れたとかの目に見える破損はない。大丈夫。さっさと起こしてこの窮地を一刻も早く脱するんだ。

……が。

起こせない。

びくともしない。カブってこんなに重いの?!

あの手この手で挑んでみると、どうも問題は重量ではない。石がゴロゴロしているため、足場が不安定で踏ん張れないのだ。
何でこんなとこまで来ちゃったんだ自分。乗って進むのは無理と判断した時点で引き返せばよかったものを。
同じようなものだと思ってしまったんだよ。田代運動公園前河川敷と。何か楽しそうなことやってるんじゃないかって。

釣り人たちがちらちらこっちを振り返っている。けど、加勢に来てくれる様子はない。そうだな、そんなことしてる間に大物を逃がしたらどうしてくれるって話だ。

その時だ。

「大丈夫ですか?」

どこからともなく。本当にどこからともなく、救いの手がさしのべられたのは。

大学生の息子と同じか年下くらいの、ひょろっとした男の子だった。
一緒にミドリを起こしてくれた。そのうえ、土手に上がる道のところまでうしろから押して来てくれた。頑として動かなかったミドリは一転、この子が押してくれるなら話は別だとばかりに素直だった。

もうね、平身低頭。ありがとうありがとうありがとう。
男の子はぼそっと「気をつけて」みたいな言葉を残し、去って行った。

かくて2019年は無事暮れた。

にしても、あの男の子はなぜあのタイミングで、あんなところを通りかかってくれたのだろう。
釣り人の仲間でないことだけは確か。とすると、ほかにどういう用向きで、大晦日の夕暮れの、石がゴロゴロした河原を歩いていたのか見当がつかない。
彼の立場にすれば、私のほうこそ、何が悲しくてあんなところで原付を倒していたのか見当もつかなかっただろうけど。

もしかしたら彼は、原付初心者が困っている時、神様が一度だけ遣わしてくれる天使だったかもしれないと思うのだ。
その手にすがった者は、いつか誰かが困っている時、手をさしのべられるまでに成長しなくてはならないと思うのだ。