アラ還原付日記(仮)

カブに乗ったらこうだった! 制限時速30kmで考えるアラ還からの生活。文学フリマ東京に出品する『アラ還原付日記(仮)』の試し読みブログです。

episode 041 帰ってきた「あれ」

★アラ還原付日記(仮)その3「明日の旅へカブで行く」の一部をご紹介しています★

 

2021年10月20日(水)
悲願のコスモスを見に県立秦野戸川公園へ! 伊勢原経由246で秦野を目指す。善波トンネルを抜けたら目の前に富士山が現れて感動。

コスモス探しの長すぎる旅路

宿願、どころか、悲願である。
もう一度、秦野戸川公園へ行きたかったのだ。コスモスを見に。

最初に来たのは8年前。まだミドリに乗り始めるずっと前の2013年だった。
急にコスモスが見たくなって、どこかいっぱい咲いてるとこはないかなあと調べてみたら、秦野戸川公園があったのだ。県央の拙宅から、電車とバスを乗り継いで1時間ほど。見たい見たいとひと月ばかり言い暮らし、11月に入ってようやく行くことができた。
丹沢の山並を壮大な借景にした、空の広い公園だった。真ん中を水無川という自然の川が流れ、そこに風の吊り橋という大きな橋が架かっていた。
とても良いところだった。
しかし、コスモスはすでに見頃を過ぎていた。色づき始めた木々の葉や、風に吹かれるススキの穂のほうが美しい季節になっていた。
やっぱり10月中だな。10月中に行かなきゃダメだな。よし、来年だ。来年こそは、きっとだ。

どうしてコスモスが見たくなったのかは忘れた。
来年こそ、見頃に見る。その決意だけが残った。

翌年は、行かれなかった。
翌々年も行かれなかった。
その次の年も行かれなかった。
そのまた次の年も行かれなかった。

まあ、その時々でいろいろ都合があったのだと思いますが。教訓としては、「都合がついたら行く」じゃダメ。「行くと決めたら行く」じゃないと。

そこで、そのまた次の次の年には、9月のうちからTwitterでつぶやいてみた。
「いつも気がつくと終わっているコスモス、今年こそは見たいんですが、どっかいいとこありませんか?(大意)」

横須賀の、くりはま花の国という公園を教えてくれる人がいた。
行くと決めた。
見頃を逸するくらいなら早めに行ってしまおうと、10月早々に出かけた。桜だって、本当の見頃は満開よりちょっと前だというじゃないですか。コスモスもきっとそうだ。

が……。
私鉄を3社乗り換えてやっとたどり着いた、くりはま花の国のコスモス畑は、なんか思ってたのと違った。
寂しい。
さすがにまだ早すぎたか。いや、そうじゃない。これからどんどん咲くぞという上昇エネルギーが絶無。すでに枯れかけ、ひからびかけたような寂しさなのだ。

その年(2018年)は、猛暑と台風の影響で、記録的に生育が悪かったらしい。
みずみずしく咲き揃ったら圧巻であろう広大なコスモス畑なのに。
少しでもきれいに写るよう角度を工夫するなどして写真を撮った。なので、画像データを見る限りそんなに寂しい感じはしない。けれど、まぶたの裏のくりはまコスモスは、ぽさぽさの土の上で咲くに咲けず立ち枯れしかけている無念の姿でいっぱいだ。

何よりも、うちからくりはま花の国までは、秦野戸川公園に比べて概ね2倍の時間がかかる。その分、期待と違った時のがっかり感も深い。
花はあまり遠くまで見に行っちゃいけないのだ。相手も生き物なので、はるばる足を運んだからって都合よく咲いててくれるとは限らない。県央民の私には秦野くらいがちょうどいい。次は秦野戸川公園に再チャレンジだ。

ミドリに乗り始めたのはその翌年である。
コスモスを見に行くならミドリで行こうと、当初から密かに決めていた。
片道15キロのバイクショップですら「遠い」と思っていたくらいだから、今日の明日でどこへでも出かけられるわけではなかった。その年のコスモスシーズンは、近所をおっかなびっくり乗り回すだけで終わった。
ある程度の距離が苦にならなくなっても、県央から秦野行きの最適解、国道246号を50ccで走るには、もっと根性を鍛える必要があった。
3年目にしてようやく、時は来たのだ。
8年ぶり2度目、ミドリでは初めての、秦野戸川公園コスモスの旅。

わらいんぼの楽園

公園の駐車場はほぼ満杯だったが、二輪車駐輪場には余裕で駐められた。

うちからほぼ35キロ、所要2時間。
何のことはない、時間だけみれば、私鉄3社を乗り継いでくりはま花の国へ行くのと大して変わらないというね。さすが50cc、制限時速30キロの本領発揮。

けど、ミドリで行く旅の良いところは、ミドリで行くことそのものが旅の果実であることだ。
このうえコスモスまで見られたらむしろ儲けもの。ここまでがんばって走って来たことへの素晴らしすぎるご褒美じゃないかしら。

コスモスは今を盛りと咲いていた。
秋の日射しを受け風に揺れ、色とりどりの花が命をもった宝石のようにきらきらときらめいた。
ただただ目からあふれるほどの花、花、花。
ああ。やったね。何というご褒美。

写真を撮った。いや、これは動画だと思って動画も撮った。コスモスを「わらいんぼ」とうたったまどみちおさんは日本一の詩人だと思う。そうだ、宝石なんかじゃない、わらいんぼだ。

ひとしきり花を愛でたあと、風の吊り橋を渡って園内を散策。天気が良すぎて歩き回ると暑い。そろそろ帰ろうと駐輪場に戻ったのは、やや日が傾きかけた午後3時半頃だったが、念のため持参したフリースベストもまだ全然いらない感じだった。

だが、ミドリを駆って小一時間も走ると急速に冷えてきた。
どんどん日が陰ってきて道も怖い。これが10月の夕暮れだ。
帰路の246離脱ポイント、愛甲宮前の交差点までがんばれ。そこさえ抜ければ寒くても暗くても車だけは減る。

心頭滅却してひたすら進んだ。
「あれ」はまもなく起こる。

1年1ヵ月ぶり2度目の「あれ」

前を行く路線バスが停留所に停まった。私も停まってバスが動くのを待った。
やがてバスが発車した。私も再び走り出そうとした。

……。
…………。
……………………。

スロットル手応えなし。
え? えぇぇ?? ミドリ進まないんですけどーーー!!

そういえばいつの間にかエンジンが止まってる。
って、前にもこれとまったく同じことがあったな。
忘れられるわけがない。去年の9月の「あれ」。
エンストだ。

いやいやいや、まさかまさか。その話はもう終わってるはずですが。
復習しよう。1年1ヵ月前の9月10日。私は食料品の買い出しの帰り、自宅近くの交差点の右折レーンで信号待ちをしていた。
信号が変わり、前の車に続いて進もうとした時、それは起きた。スロットル手応えなし。ミドリ進まないんですけどーーー!!
右折レーンでしばし立ち往生の末、何とか安全な場所へ退避したものの、セルスターターを何度押してもエンジンはすかかか……と弱々しいかすれ声を上げるのみ。未だ残暑のおさまる気配もない炎天下、延々と続くゆるい上り坂を押し歩き、最後は電話で息子を呼び出して応援を頼み、バケツの水でもかぶったような大汗を流しながらやっとの思いで帰投したのであった。

修理をお願いしたバイクショップの見立てによると、原因はエンジン内部の汚れ。
短距離ずつしか乗らない・ガソリンを口切りいっぱい入れがち・傾斜のあるところに駐輪しがち、などがその現象を招く代表的要因であるという。
全部思い当たった。そもそも普段ミドリを置いている我が家の敷地に傾斜がかかっている。まず置き場所を変えた。給油量もほどほどにするよう心がけた。コロナ禍以来、ほぼ食料品日用品の買い出しにしか乗らなくなっていたミドリで、少しは遠出も楽しむようにした。

それから1年。
ミドリは快調に走り続けた。恐怖の立ち往生、地獄の押し歩きの記憶も薄れた。再びめぐってきた12ヵ月点検も、何の問題もなくクリアした。
で?
何で今頃また同じことが起こるんです??
話が違うじゃないですか。

虚空に向かって泣き言を並べても始まらない。気をしっかり持って現実と向き合わねば。今起きていることは、前回と同じことじゃない。前回よりもっと悪いことだ。
前回は、自宅近くの交差点。今回は、自宅まで35キロの道のりのまっただ中。

いや待て、落ち着け。前回よりいい点だってないとはいえない。
まず、ここは右折レーンじゃない。道路の左端だ。とりあえず差し迫った危険はない。後続車の邪魔にも(それほど)なっていない。
暑くない。荷物も少ない。無駄に重いペットボトルの飲み物も、腐ると困る肉や魚も持ってない。
そして何より、私はこの1年の間に、前回は使えなかったキックスターターが使えるようになっていた。

一発逆転のキック

スタータースイッチ(指で押す)でエンジンがかからなくても、キックスターター(足で蹴る)を使えばかかる場合があるということは、前々から聞いてはいた。ミドリに乗り始める前、諸先輩のブログやYouTubeでいろいろ予習していた頃である。
けれど、その時は、エンジンがかからなくなった場合のことなんか心配していなかった。それ以前の問題として、普通に乗れるかどうかのほうがずっと心配だった。指で押すだけでかける簡単な方法があるのに、キックでかける練習にまではとても手が回らなかった。

ところが、今年に入って放送されたアニメ「スーパーカブ」で、主人公の小熊がキックでかけているのを見て、そのとおりにやってみたら思いのほか簡単にできた。
それで、ここ半年はずっと、キックペダルをふんっと踏み込んでかけていた。

前回はできなかったことが、今はできる。
あるかもしれないじゃない。この状況からでも、一発逆転が。

ちょうどすぐそばにファミレスがあった。沈黙のミドリを歩道に押し上げ、駐車場の片隅を勝手にお借りして、キックスターターに挑んだ。

すかっ。

すかっ。

すかっ。

すかっ。

ダメならどうしよう、とは考えなかった。というより、何かを考えるほど頭が働いていなかった。無の境地、もしくは、完全な思考停止状態で、ひたすら蹴る。蹴る。蹴る。

かかかかかかかか……。

かか、かかった……?

行けるな? 行けるなミドリ??

気が変わらないうちに、急ぎ駐車場を離脱。何とかこれで行けるところまで行かないと。
信号待ちのたび脂汗が流れた。停止中にいつの間にかエンジンが止まってかからなくなる、というのがお決まりパターンであることを学習したからだ。頼むよ。頼むよミドリ、せめて押し歩いて帰れるところにたどり着くまでは。と、メーターのあたりをよしよしとなで回してお願いする。

命からがら帰投した時にはもう真っ暗。コスモスの余韻も吹っ飛んでいた。
どうするんだろう、これ。一度くらいエンストしても、また走れば大丈夫なのか。それともやっぱり致命的な何かが潜んでいて、このままでは遅かれ早かれ動かなくなってしまうのか。

一発逆転したものの、まるで勝った気のしないコスモス探しの旅であった。