episode 032 大きいバイクのお姉さん ~納車1年6ヵ月
★アラ還原付日記(仮)その2「生まれ変わってもカブに乗れたら」の一部をご紹介しています★
2021年3月30日(火)
地元イオンのバイク駐輪場で、私の目にも明らかな初心者を目撃。
駐輪場はベルサイユ
だいたい、慣れた人って、駐輪場から出る時、最初から乗ってバックして、向きを変えて出て行くじゃないですか。
私にはそんな器用なことはできないので、おそるおそる後方を確認しながらヨロヨロと引き出し、出口へ向けて向きを変え、初めて乗ってエンジンをかけるのだが。
そのお姉さんも私と同じように、おぼつかない手つきでヨロヨロとバイクを引き出していた。自分以外でそういう人はあまり見たことがないので、一方的に親近感が湧いた。
ただ、お姉さんが私と違っていたのは、原付ではなくもっと大きいバイクに乗っていたこと。
そして、ヘルメットを着用していないことだった。
むき出しの頭のままお姉さんはバイクにまたがった。
うゎぁぁ、ちょっとちょっと……!!
こりゃ私以上の初心者かもだ。いくら私でもヘルメットは忘れないものな。
しかし、どんーなに初心者であろうと、大きいバイクに乗っている人は、私からみれば格上なのだ。
原付おばさんが気安く声をかけちゃいけない人なのだ。たとえていうならそう、身分の低い者から身分の高い者へ話しかけてはいけないベルサイユ宮殿のように。
私ごときが余計な世話を焼かなくたって、お姉さんは必ず自分でかぶるはずだ。ヘルメットは先にかぶっておくものというのは私の狭い思い込みにすぎず、またがる→かぶる→エンジンONという順序がお姉さんのマイルールなのかもしれないし。
お姉さんは止まったまま何やら考え込んでいる。
そうだ。考えるんだ。そしてかぶるんだ、ヘルメットを。
しかしお姉さんはかぶろうとしない。きっと全然違うことを考えてるんだ。このあとの運転操作方法とか。ここを出てどっちへ行くかの道順とか。
そしてお姉さんはエンジンをかけた。
ダメだ。叫ばなくては、「お姉さん、ヘルメット!」
何なら「頭!」だけでも通じるかもだ。マリー・アントワネットの命を守るためならデュ・バリー夫人のほうから一声発したって許されるんじゃないか?
まさにその刹那、お姉さんは「あっ」というように軽く身を竦ませたと思うと、大急ぎでヘルメットを着用した。
そして、駐輪場の奥であわあわしている私の存在に気づくこともなく、ゆっくりと走り去った。
念のためだが、「お姉さん」とは、私のお姉さん世代という意味ではない。おばさんじゃなくてお姉さん、ベルばらもピンとこないであろう世代の若い女性という意味である。
半年もすれば見違えるようなライダーになっているに違いない。
ないものねだりか来世の夢か
生まれ変わったら私も、もっと若いうちに二輪免許を取って、二人乗りもできれば高速も走れる大きいバイクに乗ってみたいかな、と考えてみる。
本気で乗りたきゃアラ還過ぎて免許を取る人だっているわけですが。そうはしていない時点で、自分はそこまで望んでないんだろうと思う。ミドリに乗るだけで十分楽しく、ミドリに乗るだけで十分危ない。大きいバイク、なんて、私にとってはしょせんないものねだりだ。
しかしカッコいいと思うのは、「若い頃からいろいろなバイクに乗ったけど、結局、スーパーカブに戻ってきた」ってな話ですよね。そういう方のおっしゃるスーパーカブは、50じゃなくて110とかC125かもしれませんが。いずれにせよ、これはもう現世における私の人生では言えない台詞なので、言ってみたければ来世に託すしかない。
まじめな話、他のバイクにも乗ってみなければ、カブのどういうところがいいのかもわからない。つまり、私は知らないのだ。カブがそんなに「いい」のかどうか。
私は原付免許の実技講習でスクーターに乗ってみて、平らなところに足をのっけて乗るのがなんか倒れそうで怖かったからそれらの車種は選ばなかったけど、練習すればもっとうまく乗れたかもしれないし、やはり「いい」と思ったかもしれない。
他のバイクのよいところも、うちのミドリのよいところさえも、本当には知らないまま私は一生を送るのだ。
現世ではそれで心残りはないと思う。
来世ではどうかなってことを、ちょっとだけ考えるのである。
大きいバイクのお兄さん
ちょうどこの頃、私はミドリに乗りながら、前の車のナンバーを見るのを信号待ちや踏切待ちの楽しみにしていた。
「あ 18-18」=あーいいわいいわ、なんて語呂合わせをしてみたり。
私が住んでいるのは神奈川の県央と呼ばれるエリアだが、札幌、会津、福井、富士山、尾張小牧、下関、熊本など本当にいろいろな車が走っていて感心する。
踏切を一台ずつ渡っている時、次は自分の番だと思って前へ出ようとしたら、横からぎゅーんと追い越して渡っていく車がいて仰天したことがある。大人しく追い越されるのも原付のお仕事のうちなので、それ自体は何とも思わないが、ここで? このタイミングで?! と本当に驚いた。
どこのナンバーだったかは上記のどれかなので当ててみてください。答えは書きません。
そんなある日の夕暮れのことだ。大きいバイクのお兄さんと信号待ちで隣り合わせたのは。
土浦ナンバーだった。スマホのナビを搭載していた。これから遠路はるばる帰るところなのかな。着いたら何時になるだろう。車と同じ条件で走れる大きいバイクなら、案外時間はかからないのかな。
茨城県土浦市は小学校6年の2、3学期だけすごした思い出の地だ。
7ヵ月という短い月日だったけど、先生にも友達にも本当に良くしてもらった。
校歌は茨城出身の詩人、野口雨情の作詞だった。依頼を受けた雨情は、土地の様子を自ら取材して歩き、歌詞を書き上げたと伝えられる。学校のことは3番まで出てこなくて、1番も2番も、筑波山や霞ヶ浦の風景が彩りも鮮やかに歌われている。その全部を同じ瞬間に自分の目で見たような気のする美しい歌である。
もしかしたらお兄さんも同じ小学校の出身だったりして。
そうしたらあの校歌が歌えるんだ。
卒業後、私はまた別の土地の中学に進学し、それっきり土浦ともご縁が切れて今日に至る。何だかずいぶん遠いところのような気がしてたけど、意外とバイクでひとっ飛びだったりするんだな。50ccの原付じゃ無理でも、大きいバイクなら。
信号が変わり、お兄さんは加速一発走り去っていった。
気をつけてな。
こんな時ですね。生まれ変わったらやっぱり大きいバイクに乗りたいかも、と思うのは。
そして最後にミドリに出会えたら最高じゃないかしら。