アラ還原付日記(仮)

カブに乗ったらこうだった! 制限時速30kmで考えるアラ還からの生活。文学フリマ東京に出品する『アラ還原付日記(仮)』の試し読みブログです。

episode 010 名前をつけて可愛がる ~納車翌日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2019年9月24日(火)
起きたら腕が筋肉痛だった。どんだけ力一杯グリップを握ってたのか。
夕方、家の周りで少し練習。止めたらNは鉄則。
カースペースには意図した位置に入れられるようになった。

お前のものはオレのもの

原付を買おうと思い立った時、危惧したことがいくつかあった。
事故、などという、誰でも怖れるに決まっていることは別格として。
少なくないお金と労力を注ぎ込んでやっと手に入れたのに、結局、短時日のうちに乗らなくなってしまうこと、とか。
自分のために買ったのに、結局、息子に取られてしまうこと、とか。

大学最初の春休みに教習所へ通い始めた息子は、私のカブ購入に先立つこと3ヵ月ほど前、普通免許を取得していた。
普通免許があれば、私のようにひーこら実技講習を受けなくても、50cc以下の原付に乗ることができる。
「車が欲しい」とまで言い出す気概はなく、額に汗してバイトして中古でもいいから手に入れてやるという根性も(今のところ)ない。そんな息子の目の前に、労せずして原付が降ってきたらどうなるか。

「ちょっと乗ってみてもいい?」
 ↓
「ちょっと借りていい?」
 ↓
「明日借りていい?」
 ↓
「今日借りていい?」
 ↓
「今日借りるわ」
 ↓
「借りてたわ」
 ↓
「…………」(終始無言)(平然)

となるのはだいたい既定路線ではないだろうか。

ダダダ ヨロヨロ どーん

実のところ、それでもいいと思っていた。
後期の授業が始まれば毎日家にいるわけじゃなし。平日は私、週末は息子と住み分ければ、競合はしない。
万一、私が、「あーやっぱり原付怖いわ、電チャリで十分だわ」ということで早々に撤退しても、息子が乗ってくれるならカブも浮かばれる。
むしろそれを織り込んで、ヘルメットもグローブも、息子に貸すこと前提で選んだくらいなのだ。

それで、納車翌日、家の周辺をひとしきり回ってきたあと、水を向けてみた。

「乗ってみる?」

息子はうなずき、まだ使ったことのない運転免許証をポケットにしまい込んで、ヘルメットとグローブを装着した。
そして、まず、カースペースの出口に立ち、道を見渡した。
うゎぁ。教習所で修業してきた人は違うわ。そうだな、子どもが歩いてるかもしれないし、配送の車が停まってるかもしれない。この発想はなかった。私は自分が乗ることばっかり考えて、安全確認もせずいきなりカブを公道に引きずり出していた。
ちなみに教習所では、車の下に猫がいないかまで確認するよう教えられたそうである。猫。考えたこともなかった。

それに比べれば、私が息子に教えられるのは、これがスタータースイッチでこれがブレーキで……くらいのものだ。
息子を乗せてカブはダダダと走り始めた。
そして、ヨロヨロと蛇行し、数軒先の駐車場の金網フェンスに突っ込みかけてかろうじて止まった。

「オレ、二輪はいいや。タイヤが4つあるやつがいい」

……そ、そうか。
それがよさそうだな……。

命名 ミドリ

というわけで、半ば危惧し半ば期待していた息子とのカブ共有路線はあっさりと消えた。
ま、親子といえども趣味嗜好は別。君は君で、いつの日か自由にハンドルを取って旅立つがいいさ。

「じゃあ」

って、何がじゃあなんだかわからないけど私は息子に言った。

「じゃあ、この原付に名前をつけてくれない?」

うーん、と息子は無理難題をふっかけられたような顔をしていたが、まもなく、

「ミドリ」

と答えた。

そうね。緑だから。わかりやすい。

思えば夫と私も息子に名前をつけて可愛がってきたのだ。20年間。
私が原付を欲しいと思った小さな理由のひとつには、もしかしたら、息子がもうかなりのところまで育ったから、というのもあったかもしれない。
名前をつけて可愛がる新しい対象がカブだったのだ。

かくてマイカブはこの日からミドリとなった。
末長く一緒に旅をしよう。
とはいっても、こっちはアラ還だからなぁ。「末」はそんなに先じゃない。事故に気をつけ体に気をつけ、安全第一を肝に銘じるのみ。

 

episode 009 緊迫の珍道中! ~納車当日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2019年9月23日、秋分の日。
台風17号の影響で神奈川は強風、猛暑だった。
電車でバイクショップへ。帰りは電車には乗らないんだと思うとドキドキ。
さらにいえば、どうしようどうしようどうしようどうしよう……。

30kmは速すぎる

店頭で初めてマイカブと対面。
一通りの扱い方と、ガソリンは最低限しか入ってないからすぐ給油するように、などの注意事項を聞いて、いざエンジンをかけたのは午後2時半頃だった。

イカブ、なんて馴れ馴れしく呼んでるけど、実のところ対面の感動なんてまるでなかった。どうしようどうしよう、生きて帰れるかなとしか。

ただ、実技講習でスクーターに乗った時のように、倒れる倒れるっっ……とは思わなかった。ペダルを漕ぐか漕がないかの違いだけで、自転車と同じ体勢で進めるカブは、とても安定していて自然だった。

最初のガソリンスタンドで給油することにした。とにかく何もわからないので、すいませーんすいませーん教えてくださーい、とおばさん全開で係の人を呼んだ。
係の人はとても親切で、手取足取り機械の操作方法を教えてくれた。ところが私は何を間違えたのか、気づけばタンクからドクドクとガソリンがあふれていた。
すいませーんすいませーんあふれてるんですけどー、と係の人を呼び、止めてもらった。

道のりの大半を占める厚木街道は、狭くて交通量が多くて坂が多くて大きな交差点がいくつもあって、上り坂の途中で信号待ちになったりもした。
さぞ鈍臭い邪魔な原付だったと思う。
しかしそう思えたのはずっとあとのことで、この時、どれほど自分がモタついているかなど一切意識になかった。
覚えているのは、時速30kmなんて速すぎるじゃないの、と思ったことだけ。30kmの時速制限が原付のネックというけど、それすら怖くて出せなかったのだ。
風になれそうとか、どこまでも行けそうとかも思わなかった。猛暑に長袖はボディ密着蒸し風呂状態、水蒸気になれそうな気しかしない。どこまでも、どころか家まで行けそうかどうかも危うかった。

動かない! 珍道中最大の危機

市境を越え、見知った道に入ると、いくぶんゆとりが出た。
怖くてできなかったシフトアップを試みた。ここで初めて試みたということは、それまで何速で走っていたのか、まさかずっと1速だったのか、闇の中だ。
シフトペダルを踏んだらがっくんと衝撃が走りヘルメットが浮いた。馬に乗ってるみたいでちょっと楽しかった。そこは楽しむとこじゃない、上手に乗れば馬だってそんなに暴れない。

シフトを上げたらにわかに走りがなめらかになった。おぉ、快適。これで時速30kmくらい? とメーターに目をやると▲◎#40※%●△&$。嘘嘘嘘、今のは錯覚ってことで。

わかってきた。超ド素人のアラ還初心者といえども、平らな道をまっすぐ走るだけなら意外と簡単。曲がったり止まったり押し歩いたりすることが難儀なのだ。
この日最大の危機は、15km余の道を走りきり、自宅の前までたどり着いた時に訪れた。

いったんカブを駐め、カースペースの門扉を開ける。
うちには車はないけどカースペースはあったりする。車を持つ気もないのにカースペース付きの家に引っ越してきたのは、譲れない他の条件(駅から徒歩10分以内とか)が良かったためだ。こうして突然思い立って原付を買ってしまったりしても、自転車と並べて余裕で置いておけるのだから、すべては今日につながっていたと言っても過言ではない。

そのカースペースに。

カブを入れようと押してみても。

動かない。

えぇー何で。あんなに長い道のりをあんなに快調に走ってきたのに。カースペースまであと数歩、何で動かないの。

押してもダメなら引いてみな、の教えに従って引いてみると、後ろには動く。
なんだ動くじゃないの、と再び押すと、やっぱり動かない。引いてみた分、カースペースからさらに後退した状態で動かなくなってしまったのだ。えぇーーー。どうするのこれ。

折悪しく夫も息子も留守。在宅していたところで、私にわからないことは彼らにもわからない。3人がかりで持ち上げて運び入れるという道もあるが、運び入れてどうするのか。後ろにしか進まなくなったカブを一生カースペースに飾っておくのか。

そこへ、向かいの家のお父さんが通りかかった。
小学生のお子さまを育てるお向かいさんご夫婦は、若いのに徳が高く、あぁ、ご近所付き合いとはこうやってやるものなのかと教えられることが多い。
そのお向かいさんが、どうしました、と気さくに声をかけてくれたので、苦境を訴えると、どれどれと見てくれた。そして、

ニュートラルになってます?」

……は?

お向かいさんがカチャカチャと何かを操作すると、頑として動かなかったカブがすんなり押し歩けるようになったではないか。
調子に乗ってシフトを上げて走ってきた私は、そのままエンジンを切ってしまっていた。Nに戻しておかないと前に動かなくなることを知らなかったのである。

カブをカースペースに入れるところまで手伝ってくれると、お向かいさんは私の無知を嗤うどころか、
「かっこいいですね」
と、お褒めの言葉を残して去って行った。あ、褒められたのはカブですが。

やれやれ助かった。
皆さんありがとう、やっと帰り着けたよ。
時刻は午後4時を回っていた。15kmの道のりに1時間半。

ここまで一緒に帰ってきながら、カブにはまださほどの愛着も感じられなかった。嬉しいのは自分が無事に帰れたことだった。
早くシャワーを浴びたかった。汗まみれの服を脱ぎ捨てると、右脚のふくらはぎに巨大なアザができていた。いつどうやってできたのかわからない。カブでできたことだけは確かである。

愛はひとりでに育つものじゃない。痛い思いをしながら学習するものだ。カブ愛の原点というものが私にもあるとすれば、それはこの日こしらえた巨大なアザだ。

 

episode 006 ペーパー原付ライダー、カブを買う ~納車まで11日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

それまでの人生、車やバイクに夢も憧れも抱いたことのなかった私は、本っっっ当に何も知らなかった。
どれくらい知らなかったかというと、原付講習で乗ったようなスクーター、あれは「スクーター」であって「バイク」とも「原付」とも違う乗り物だと思っていた。
そこまで深刻な無知はさすがに解消したものの、「原付」といってまず思い浮かぶのは、やはりスクーターではなかった。

昭和30年代の昔から町のそこここを走り回っていたアレ。
「オートバイ」というのはこういう形の乗り物と最初に刷り込まれたアレ。
アレだ。

スクーターは無理と実技講習で思い知ったので、乗るならますますアレでなくてはならなくなった。

Googleに「原付」と入れてイメージ検索。

そうそうそうっ。
これよ、これ。

HONDAスーパーカブ

初回更新者講習の教え

免許証を更新したら、その足で原付を買いに行く。
そう決めた私は、ネットを駆使して免許センター周辺のバイクショップを探した。
「その足で」とはもののたとえであって、必ずしも免許センター周辺に限定しなくてよかった気もするが、そう気づくより前に、よさそうなお店が見つかった。
いわゆる町のバイク屋さんで、ホンダの正規販売店。サイトに「新車セール」というページがあり、そこに、まさしく私の求めるスーパーカブ50が掲載されていたのである。

「セール」といっても他店と比べてどれくらい違うのか、正直、わからない。
よさそうなバイクショップ・そうでもないバイクショップの基準も実はよくわからない。本体価格と諸手続の料金、支払総額が明記されているので、まぁ普通に考えて明朗会計だろう、というのが判断材料のすべてだ。

さっそくそのページをプリントアウトし、スーパーカブ50の画像をマルで囲んだ。
免許更新に行く日も、そのお店の営業日を確かめて決めた。

そして当日。

2時間にわたる初回更新者講習は、もちろん真面目に受けた。
希望者には旧免許証を返却してくれるそうなので、それもお願いした。この年、年号が変わって4月から令和となったため、免許証の有効期限が「平成31年9月28日」という存在しない日付になっている。記念になるからというのもあるが、いやいやそういうことじゃないでしょ、初心を忘れないためでしょ、と己を戒める。

この日の受講ノートには「ひき逃げ」の文字が赤で大書されている。とにかくそれがいちばんやってはいけないことと何度でも教育される。ひき逃げなんて、これまでの人生では、される心配はあってもする心配はゼロだった。たとえ原付といえども、運転する以上は、背負うものが違うことを痛感する。

そこで気がついたのだが、アラ還にしてそんな今さらなことを初めて痛感している超初心者に、はたしてバイクショップは原付を売ってくれるのであろうか。

ドキドキしながらお店の入口に立つ。
こ、こっちにだって更新したてのほやほやの有効な免許証があるんだし……だだ大丈夫だよね……「あんたみてえな危なっかしいおばさんに売る原付はねえ!」なんて気難しそうな親父さんに塩まかれたりとかしないよね……。

スーパーカブください!

応対に出てくれたのは女性の店員さんだった。とりあえず、気難しそうな親父さんではなかった。
親父さんも何も、お店にはその店員さん以外誰もいなかった。そして、その店員さんも、そこそこ素っ気なかった。女性だから店員というのはもしかしたら私の偏見で、実は気難しい店主だったとしてもべつにおかしくはない。

「あ、あの、ホームページに載ってるこの原付が欲しいのですが……」
「はい。色は」
「みみ緑を」
「あるかどうかお調べします(カチャカチャ)。ありますね」
「では、そ、それを」
「ありがとうございます」

あっさり。

何のドラマ性もなくて張り合いがないくらいあっさりと話は進んだ。
最低限、免許証の確認くらいはされると思っていたのに、それもなし。考えてみれば、買うことと乗ることは別問題なので、免許がなくたって買うだけは買えるのかもしれない。

店内には所狭しといろいろなバイクが並べられている。しかしセール対象車輌の展示はなく、現物との対面は納車当日までお預けとなる。
実感がわかないまま、ヘルメット、グローブといろいろ相談しながら揃えていく。
荷台に箱を付けたいのですが、と言ったら、ちょうどヘルメットが収まるくらいのリアトランクをすすめられた。もう少し容量が欲しい気がするけど、あまり大きいと荷物が入りすぎて、重くなって危ないという。なるほどと思い、おすすめに従う。
店員さんは素っ気ないけど教えてくれることはもっともなことばかりだった。
しかしグリップヒーターのおすすめはちょっと考え込んだ。未だ残暑の衰える気配もない9月半ば、寒くなった時のことまでは想像がつかない。というか、暖かいものを想像するだけでぐったりだ。なので、それは寒くなってからあらためて検討することにした。

ということで、もろもろトータル239,439円を支払い契約成立。
納車は8日後、9月20日(金)ということに。

ここで思い至ったのは、

「え……乗って帰るの?」

もっといえば、

「乗って帰れるの?!」

という問題であった。

お店から自宅まで概ね15キロメートル。そんな距離、電車やバスでしか移動したことがない。市境を越えれば自転車で慣れ親しんだ道もあろうが、そこへたどり着くまでには、厚木街道と呼ばれる長~い県道を延々と走らねばならない。

「初心者が無謀でしょうか?」

意見を求めると、店員さんは言下に答えた。

「練習になっていいんじゃないですか」

それがバイク屋さんの定型文らしいことはあとで知った。

 

episode 005 祭り再び? 3年目のペーパー原付ライダー ~納車まで61日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2019年7月。
運転免許証の更新連絡書が来た。

そうかそうか。もうそんな時期か。
そりゃ更新しなくちゃね!

無敵の原付免許

原付免許を取って2年5ヵ月。
原付を運転することは一度もなかった。
買って乗らないのはもちろん、借りてすら乗っていない。乗りたいなぁと思ったことも、ほぼ、ない。
ペーパードライバーの二輪バージョンをペーパーライダーというそうだ。ペーパー原付ライダーというのもアリなら、私もそれだ。祭りは終わったのだ。

しかし免許証は大活躍だった。
本人確認書類として、運転免許証がこれほど絶大な威力を持つとは知らなかった。
だいたいのことは健康保険証で間に合うとはいえ、難渋するのは顔写真付きの何かを求められた場合。該当するものがなければ、健康保険証プラス公共料金領収書など補助書類が必要になったり。何が有効で何は無効かいちいち調べるのもめんどくさいし揃えるのもめんどくさい。これでいいかこれじゃダメかと交渉するのもわずらわしい。書類が増えるほどに余計なプライバシーを開陳しなきゃならないのもなんかいやだ。

それが、運転免許証なら!!
補助書類など何一つ求められることなく一発で通るのだ。「本人確認できるものを……」と、相手が言い終わらないうちに運転免許証を出せば済んでしまうのだ。若い頃から持っている人には普通のことかもしれないが、50代半ばにして初めて持った私には、まるで魔法のカード、三つ葉葵の紋所みたいなものだった。

特にありがたみが身にしみたのは、TOEICを受けた時。
英検に代わる新たな目標として息子が受け始めたので、どんなものか私も知りたいと思い、何度か受けに行ったのだが。
これ、顔写真付きの本人確認書類がなければ「受験できません」と明記されてるのね。就職や昇進のためならともかく、単なる趣味の受験にすぎない私は、運転免許証を持っていなければ「あ、ダメだ」と諦めてそれっきりだったと思う。

趣味のTOEICなんて受けられなくても失うものは特にない。だが逆にいえばそれは、無敵の本人確認書類なしには趣味さえ楽しめないご時世ということだ。
私はまだ経験がないけど、顔写真付き身分証がなければ入場できないライブ、イベントなどもあると聞く。
この先ますます手放せなくなりそうな運転免許証。
間違っても失効させたりしないよう、おさおさ怠りなく更新しなくては。

更新期間は誕生日を中心に前後2ヵ月の幅があった。
さて、いつ行こうかな。

と、手帳を広げて、ふと思った。

こうして何年かに1度、更新するだけで終わるのかな。
身分証として重宝するだけで終わるのかな。
私の原付免許は。

ペーパー原付ライダーの崖っぷち白書

免許を取ってからの2年5ヵ月の間に、息子は高校生から大学生になっていた。
夫は定年退職し、再就職した。
私はこけつまろびつ書いてきた13作目の小説をようやく刊行にこぎつけた。

本はすがすがしいほど売れなかった。
次作発表のあてはなかった。

介護問題は新局面を迎えた。半年ばかりの間、そのために奔走した。一人っ子の私には、分担できる人も交替できる人もいなかった。一連の騒動がようやく落ち着いた時、文筆の道はますます遠のいていた。

あれー?
おかしいなぁ……?
いつの日か子育てから解放されて、執筆活動に全振りするのが夢、だったのに。

そんなさなかに舞い込んだ、免許更新のお知らせだったのだ。

本当に更新するだけで満足? 本人確認書類として使えれば十分?
北の大地バイク旅を一度は妄想したのだって嘘じゃなかったよね。乗ってみたい、という気持ちもなくはなかったんだよね……?

人はそれぞれ、いろんな制約のもとに生きている。能力だったり、環境だったり、タイミングだったり。思いどおりにいかないこともそりゃあるだろう。
そこへいくと、原付に乗る、なんて、わりと簡単に実行できることだと思いますけどね?
免許はある。あとは「乗る」と決めるかどうかなんだから。

折しも消費税増税が迫っていた。
3パーセント、5パーセント、8パーセントと上がってきたものが、2019年秋、ついに10パーセントになるそうだ。
原付ってどれくらいするの? 10万? 15万?
8パーセントと10パーセントじゃずいぶん違ってこない?

最後は金の話で恐縮だが、その瞬間、祭りは再開したのだ。

 

episode 004-2 原付免許は取れるのか。 ~納車まで937日[後編]

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

結果発表ののち、合格者は再び試験室に集められ、午後から始まる原付講習の受講手続をした。

講習は、実技と座学。合格・不合格はないが、受講しなければ免許証は交付されない。時間がない人、証紙代(受講料や免許交付手数料)がない人、体調の悪い人、妊娠中の人は受講できない旨、説明を受ける。
それと、時間厳守。集合時間に遅れたら受講させません! と厳重に釘を刺されていったん解散。

そのわりには集合場所で15分余り待たされた末、午後の日程が始まった。

満点合格 その栄光と挫折

まず写真撮影。
初めて免許を取る人あるあるではと思うのだが、申請書に貼る写真を免許証にも使うと思って、めかし込んで撮ったりしませんでした? 私はそうだった。それが何の役にも立たないばかりか、ものすごい流れ作業で身なりを整える暇もなく、悲惨な免許証写真を撮られることになろうとは。

しかしこの時、ひとつだけ良いことがあった。
写真撮影の直前、申請書をいったん返される。そこに先ほどの学科試験の点数が記されている。
それが、なななんと、満点! ネットや参考書の模擬試験を何度やってみても、合格点に届くのは3回に1回くらい、最高でも50点中46点しか取れたことがなかったのに。

考えようによっては、筆記くらい満点が出せなくてどうするという話でもある。
だって、これから始まる実技講習がどんなにガタガタでも免許証は交付されてしまうのだ。今日から乗っても合法なのだ。自分で取っておいて言うのも何だけど、こんな怖ろしい運転免許がこの世にあるだろうか。

とはいえ、原付=原動機付き自転車。子どもの頃から遊びに、通学に、大人になってからは買い物に保育園の送り迎えにと縦横無尽に自転車を駆使してきた自分には、それほどまでにむずかしくてどうにもならないことはないのでは……?

とんでもなかった。

その直前までは、まだしも、息子といくつも違わない男子たちの動向を興味津々とうかがう余裕もあったのだ。
みんな講習なんてすっ飛ばして、早く乗り回したくてうずうずしてるんだろうと思いきや、自転車にも乗れないことをおずおずと申告している子もいたりした。
うちの息子も自転車は怪しいなぁ。テレビの前に寝そべってお笑いのDVDを見るのが何よりの幸せという超絶インドア派だからな。むしろ「バイク乗りてぇ」とかいって困らされてみたかったよ……てなことをのどかに思いめぐらしていたのである。

が、講習が始まるや状況は一変。他人が何をしていたかなんて一切記憶にない。
自分が何をしていたかも記憶にない。
何がむずかしいって、そもそもスクーターがダメですわ私。自転車になんて似ても似つかない。足をあの平らなとこに載せて、いわば椅子に座った状態で進んだり止まったりとか無理。倒れる。

乗っている間じゅう、わーっ倒れる倒れる倒倒倒倒倒っっっ!! と、頭の中が「倒」の字の嵐。
「何やってるんだー」「どこ行くんだー」という教官の声がどこか遠くから追いかけてくる。

次に周りが見えたのは実技終了後。座学講習の会場に移動しながら、
「上の免許も欲しくなっちゃいますよね」
と語り合う女性2人の姿であった。
ほぇぇ。今の実技講習を経て、さっそく、もっと大きいバイクに乗ってみたくなったのか。
それが若さということなら、さっき自転車にも乗れないとオドオドしていた男子だって、今頃はもうすっかり自信をつけてるかもしれないな。

北の大地バイク旅の妄想はいつの間にかどっかへ消えていた。

原付祭りの終わり

小一時間にわたる座学講習のあと、最終的に免許証の交付を受けたのは午後4時30分頃だった。

それまでには私も平常心を取り戻していた。
そもそものきっかけを振り返れば、「普通免許を取る」という目標が現実的かどうかを探るための原付免許。大目標の前の小目標をクリアできたのは上出来だ。生まれて初めて運転免許と名のつくものを持てたことも、単純に嬉しかった。
とりあえず、うちへ帰って夫と息子に自慢することにした。

原付試験を受けることは、落ちたら恥ずかしいので家族には内緒にしていた。
受かったからといって、特にほめられることもあるまいと思っていた。
夫とは学生時代からの付き合いで、車にもバイクにも1ミリの関心もないことはよくわかっていたし、息子に至っては自転車にすら興味のない超絶インドア派。「ふーん」と一言相づちを打ってくれればいいほうかな、と。

豈図らんや、男たちの食いつきはすごかった。
「そ、それは俺にも取れるのか?!」と身を乗り出してくる夫。定年退職を半年後に控え、社員証を返却すると身分証明書がなくなってしまうことを心配していたようだ。1日で取れる運転免許があるなら、取っておくにこしたことはない。

だがそれ以上に食いついてきたのは息子だった。

「オレも免許欲しい! 車の運転してみたい」

え。車。
君がそんなことを考えていたとは知らなかったよ。
「危ないからダメ」と言われると思って黙っていたそうだ。それは気の毒なことをした。じゃあ、大学生になったら教習所に通えば、と言うと、息子は大変嬉しそうであった。

ふっ、と夢からさめたような気がしたのはその時である。

免許は息子が取ればいい。
それがいちばん自然なことに思えた。
危ないからダメなのは今や親のほう。還暦目前の夫がもし本気で原付免許を目指し始めたら、あの実技講習を思うだけでも危なっかしくてしょうがない。私も紙一重だったのだ。
ましてや普通免許なんて。よく取ろうなんて考えたな自分。
いつか息子が独立し、夫と2人どこかへ引っ越す時が来たとしても、「徒歩10分の呪い」とともに生きていけばいいじゃないの。安全第一、命あっての物種だ。

かくて普通免許チャレンジは永遠に封印。原付免許も封印が確定した。
私の原付祭りは終わった。
と、少なくともこの時は思っていた。

 

episode 004-1 原付免許は取れるのか。 ~納車まで937日[前編]

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

北の大地バイク旅の白昼夢を見た2016年。
明けて2017年、こけつまろびつ執筆を続けてきた原稿もゴールが見えてきた。
機は熟した。
いよいよ原付免許取得に向けて具体的アクションを起こす時だ。

マークシートは塗れるのか

まず参考書を買った。本屋さんの棚から何冊か見比べて、『一発で合格! 原付免許合格問題集』(長信一/新星出版社)というのを買った。
参考書のほか、スマホアプリの標識クイズとか、日本二輪車普及安全協会のサイトにあるネット模擬試験「ゲンチャレ」なども利用して学習に取り組んだ。

いや、覚えられないもんですね……!
「ゲンチャレ」なんて実際の試験より数段やさしく、全然勉強にならないって噂なのに、それすら合格点に届かない。
原付試験の合格点は、50点満点中45点。つまり9割正解で合格できる。8割くらいまでは、常識で何とかカバーできる感じ。でもあとの1割は、やはり正確な知識がないと答えられない。その1割が果てしなく遠い。

「まず原付免許が取れるかどうか。それによって普通免許を目指すかどうか考える」
そう決めた時は、正直、原付試験にまるで歯が立たないとまでは想定していなかった。何だかんだいってもしょせん紙の上の試験、結局何とかなるだろうと、心の底ではたかをくくっていたのである。
しかし、ありうる。ありうるぞ、原付すら取れずに終わる可能性。それどころか、ズルズルと受けずじまいに終わる可能性も無視できなくなってきた。もうわかったよ、原付は無理だよ、ましてや普通免許の勉強なんてとてもやる気がせんよという最もクズな理由で。

そういう場合は先に住民票と申請用写真を用意してしまうのだ。どちらも6ヵ月以内のものと定められているので、どんなに遅くともそれまでには受けなきゃという気分になる。
さらには、よしっ明日だ! 明日行こう! と思い立った時にすぐ決行できる。
(※コロナ以降は、予約制になっていて、そうはいかないかもしれない)

盲点はマークシートだ。マークシートの試験を受けたことがないので、うまく塗れるか自信がない。というかその前に、鉛筆がない。手書きの習慣がまだ残っていた頃の、古びた短いものが1、2本あるだけだ。
急きょコンビニへ買いに走り、8本用意した。塗り方は、息子の英検問題集からコピーしたマークシート解答用紙で練習した。

そして思い立った。明日だ!

ゆとりと偏差値世代の原付試験

2月28日。運転免許試験場は立錐の余地もなかった。
受付開始時刻の午前8時30分よりだいぶ早めに着いたのに、証紙販売窓口はすでに長蛇の列。申請書を書く場所もなくて人の背中を借りたいくらい。
我が神奈川は人口(900万ちょい)のわりに試験場が1ヵ所しかなく、しかも、この時はまだ建て替え前の旧施設だったので、まぁ、混むだろうという話ではあるのだが。
そっかー。学生さん春休みか。そりゃみんな免許取りに来ますわな。

そのわりに原付免許の受付窓口は空いていた。試験室に集まったのも50人くらい。原付試験はその一室だけだったと思う。
普通免許を取れば原付(50cc)も運転できるんだから、わざわざ原付免許だけ取りに来る層というのはだいぶ限られているはずだ。
おもな顔ぶれは、息子(当時高2)と同じか、何ならもっと幼い感じの男子たち。なるほど、普通免許はまだ取れない層ね。
それか、20~30代くらいの女性。若いんだから普通免許取っちゃえばいいのにっていうのは大きなお世話で、二輪に乗りたいんだろうな。
するとやっぱり自分が最年長か。というと案外そうでもなく、同世代かそれ以上と思われる中高年男性の姿も少数ながら見受けられたので何となく安心する。

ちなみに試験室の前の机には鉛筆がたくさん置かれていた。何に使うのだろうと思ったら貸出用で、男子たちが軒並み借りに行っていた。
えぇーー。試験を受けようというのに鉛筆持ってこないのか君たちは。ゆとりかっっ。と思ったら最年長と思しきロマンスグレーのジェントルマンも借りていた。
8本も持ってきた自分が落ちるわけにはいかない。

試験時間は30分。15分たったら提出可。しかし案の定マークシートが難儀で、「15分経過」の声がかかった時点ではまだまだ最後まで手が回らない。
若い衆はどんどん提出して立ち去っていく。
まもなく私もひととおり終わったが、「時間いっぱい見直せ」と調教されている偏差値世代はあんなに潔く提出できない。さりとて、考えすぎていじり回した結果かえって間違えるというのもよくある話。
懊悩の末、自信のないところもすべてそのままにして、3分前に提出する。

自信のないところは6問あった。発表までの待ち時間に参考書を見て、2問は確実に正解していることを確認した。
残る4問をすべて落としても46点で合格。でも、ほかにも気づいてない間違いがあったらちょっと厳しい。う~む。う~むう~む。
1時間余り唸っていると、結果発表のアナウンスが聞こえてきた。
電光掲示板に自分の受験番号があったら合格だ。

あった。
鉛筆8本削った甲斐があった。

記念画像だ! と、思わずスマホを取り出した。
が、そんなことをしている人は誰もいなかった。息子より幼い面立ちの男子たちでさえもだ。
あ、このタイミングで急にメールチェックしてみたくなっただけです、みたいな顔をしてそそくさとしまう。恥ずかしいぞ偏差値世代。

かくて原付試験は後半戦、実技と座学の講習へと舞台を移す。

(後編につづく)

 

episode 003 北海道バイク旅の妄想 ~納車まで1130日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

原付試験を受けてみよう。
そう決めたからといって、すぐさま準備に取りかかれたわけではなかった。
2016年の夏は介護問題でほぼつぶれた。執筆は相変わらずこけつまろびつだった。高2の息子は英語が全然できなくて、教えても教えても中1、中2レベルから進歩がない。誰の役にも立たない私の原付試験なんて二の次三の次だった。

八方塞がりの中、半ばヤケッパチで思い立ったのが、2泊3日の小樽弾丸旅行だった。
私がいちばん大好きで遠く仰ぎ見るミステリ作家、泡坂妻夫(1933-2009)の文学展が、その夏、市立小樽文学館で開催されていたのだ。

最短距離が遠すぎる! 函館本線の謎

小樽かー。行ってみたいな。けど遠いなぁ。
てか何で小樽。泡坂先生は代々東京の人なのに。
日本中どこだって開催の運びとなったことは一ファンとしてとても嬉しく、ありがたい。だが小樽は遠い。少なくとも今はタイミングが悪すぎる。
と、最初は思っていた。

だからって簡単に諦めるのは、八方塞がりのこの状況に屈服するようでしゃくである。
何か打開策はないものかと考えてみた。それで気づいたのだが、実は八方なんて塞がってない。①介護問題、②息子の教育問題、③自分の無能により仕事がはかどらない問題、たった三方だ。あとの五方は開かれている。果てしない北の大地へ。

3日で行って帰ってくれば大丈夫。
そう算段を立てた私は、さっそく旅のプラン作成にとりかかった。
どうせ行くなら、函館に寄って新選組ゆかりの地も巡ってみたいし、札幌にも寄って時計台や北大キャンパスを見てみたい。
ははは。今、笑ったでしょ、北海道の人。そうだ。全然無理。北海道の広さを私はなめていた。

ならば、とJTB時刻表の索引地図を見ながら考える。
せめて移動しながら、車窓から北海道の景色を楽しむ旅ができないものか。
たとえば、函館から小樽まで、函館本線各駅停車の旅とか(また失笑を買った気がする)。

うん、それでいこう。と、時刻表ページに飛んで呆然とする。
各駅停車で気軽に移動できるような距離じゃない、というのもそうだけど。
そもそも各駅停車がつながらない。事実上、特急に乗るしかない。さらにその特急は、長万部から室蘭本線に行ってしまう。函館本線には各駅停車しかなくなる。そして、つながらない。とりわけ長万部倶知安の間がほとんどない。
どういうことだ。函館-小樽って函館本線が最短距離に見えますけどね? それはいちばん便利な行き方じゃないんだ。うーむ手強いぞ、北の大地。

「旅路」と「夢の超特急」

結局どうしたかというと、行きは空路函館に飛び五稜郭タワー土方歳三終焉の地を駆け足で回った。
函館からはニュースター号という特急バスで札幌に移動した。
札幌駅前のJRタワーから速攻で夜景を眺め、電車で小樽へ。
帰りは台風接近の情報により、ダイヤに影響が出ないうちにと早々に快速エアポート新千歳空港へ移動。飛行機の時間まで巨大な空港の中をくまなく見て回るという想定外の思い出ができた。

もちろん、主目的の文学展、そして小樽観光も、真ん中の1日を使って全力で楽しんだ。
2泊3日という制約のもとでは、最大限にいい旅だったと思う。
時間さえ許せば、長万部-小樽間各駅停車の旅だってできないことはなかった。またの機会にはぜひ実現したいものだ。

でも、その夢は叶わないかもしれない。
私が勝手に形成している北海道の鉄道のイメージは、たぶん大昔の朝ドラ「旅路」のかすかな記憶が原点だと思う。何十年前だよって話。もう時代が違うのだ。函館から小樽まで、何で函館本線で直行できないの? という疑問もそうだ。前はできたかもしれないけど、今はできない。これからできるようにもたぶんならない。代わりに北海道新幹線が走るようになる。
(※2022年2月、函館本線長万部-小樽間廃線・バス転換確定)

その土地に住んでもいない人間が、「新幹線じゃ味も素っ気もない」なんていうのは心得違いだと思う。私には東海道新幹線開通の記憶だってありますからね。「夢の超特急」といって皆あんなに喜んでいたじゃないの。私は乗ってみたいよ、北海道新幹線。全線開通まで達者でいればの話だけど。

妄想の北の大地

しかし別の見方をすれば、これも「徒歩10分の呪い」の一形態だと思うのだ。
自前の移動手段がないから、駅まで歩ける範囲内にしか住めない。
自前の移動手段がないから、電車やバスの路線どおりにしか旅行できない。

北海道に限らず、どこへ旅するにも、「あー、ここは電車もバスもないのか。じゃあ行かれないな」「駅からそんなに遠いんじゃ無理だなー」と諦めたスポットが過去どれだけあっただろう。行きたいところを公共交通機関で回るにはどうするか、時刻表と首っ引きで研究した結果、可能な乗り継ぎルートが1日1回しか成立せず、どこか1ヵ所でつまずいたら陸の孤島で詰む、なんて綱渡りの旅もあった。それが四半世紀以上前、バブル時代のお気楽会社員だった頃の話だから、各地の公共交通網はもっと絞られてきていると思う。

運転のできる人なら、自分の車で、あるいはレンタカーで、好きなところを回れるのだ。気に入ったら心ゆくまでそこにいられるし、期待と違えばサッサと次へ向かうこともできるのだ。

いいなぁ。
運転免許があれば旅の可能性も広がるんだな。

免許を取ってもう一度北の大地を訪れる自分の未来が思い浮かんだ。
ただ、妄想の中で乗っているのは、自家用車でもレンタカーでもなかった。
バイクだった。