アラ還原付日記(仮)

カブに乗ったらこうだった! 制限時速30kmで考えるアラ還からの生活。文学フリマ東京に出品する『アラ還原付日記(仮)』の試し読みブログです。

episode 009 緊迫の珍道中! ~納車当日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

2019年9月23日、秋分の日。
台風17号の影響で神奈川は強風、猛暑だった。
電車でバイクショップへ。帰りは電車には乗らないんだと思うとドキドキ。
さらにいえば、どうしようどうしようどうしようどうしよう……。

30kmは速すぎる

店頭で初めてマイカブと対面。
一通りの扱い方と、ガソリンは最低限しか入ってないからすぐ給油するように、などの注意事項を聞いて、いざエンジンをかけたのは午後2時半頃だった。

イカブ、なんて馴れ馴れしく呼んでるけど、実のところ対面の感動なんてまるでなかった。どうしようどうしよう、生きて帰れるかなとしか。

ただ、実技講習でスクーターに乗った時のように、倒れる倒れるっっ……とは思わなかった。ペダルを漕ぐか漕がないかの違いだけで、自転車と同じ体勢で進めるカブは、とても安定していて自然だった。

最初のガソリンスタンドで給油することにした。とにかく何もわからないので、すいませーんすいませーん教えてくださーい、とおばさん全開で係の人を呼んだ。
係の人はとても親切で、手取足取り機械の操作方法を教えてくれた。ところが私は何を間違えたのか、気づけばタンクからドクドクとガソリンがあふれていた。
すいませーんすいませーんあふれてるんですけどー、と係の人を呼び、止めてもらった。

道のりの大半を占める厚木街道は、狭くて交通量が多くて坂が多くて大きな交差点がいくつもあって、上り坂の途中で信号待ちになったりもした。
さぞ鈍臭い邪魔な原付だったと思う。
しかしそう思えたのはずっとあとのことで、この時、どれほど自分がモタついているかなど一切意識になかった。
覚えているのは、時速30kmなんて速すぎるじゃないの、と思ったことだけ。30kmの時速制限が原付のネックというけど、それすら怖くて出せなかったのだ。
風になれそうとか、どこまでも行けそうとかも思わなかった。猛暑に長袖はボディ密着蒸し風呂状態、水蒸気になれそうな気しかしない。どこまでも、どころか家まで行けそうかどうかも危うかった。

動かない! 珍道中最大の危機

市境を越え、見知った道に入ると、いくぶんゆとりが出た。
怖くてできなかったシフトアップを試みた。ここで初めて試みたということは、それまで何速で走っていたのか、まさかずっと1速だったのか、闇の中だ。
シフトペダルを踏んだらがっくんと衝撃が走りヘルメットが浮いた。馬に乗ってるみたいでちょっと楽しかった。そこは楽しむとこじゃない、上手に乗れば馬だってそんなに暴れない。

シフトを上げたらにわかに走りがなめらかになった。おぉ、快適。これで時速30kmくらい? とメーターに目をやると▲◎#40※%●△&$。嘘嘘嘘、今のは錯覚ってことで。

わかってきた。超ド素人のアラ還初心者といえども、平らな道をまっすぐ走るだけなら意外と簡単。曲がったり止まったり押し歩いたりすることが難儀なのだ。
この日最大の危機は、15km余の道を走りきり、自宅の前までたどり着いた時に訪れた。

いったんカブを駐め、カースペースの門扉を開ける。
うちには車はないけどカースペースはあったりする。車を持つ気もないのにカースペース付きの家に引っ越してきたのは、譲れない他の条件(駅から徒歩10分以内とか)が良かったためだ。こうして突然思い立って原付を買ってしまったりしても、自転車と並べて余裕で置いておけるのだから、すべては今日につながっていたと言っても過言ではない。

そのカースペースに。

カブを入れようと押してみても。

動かない。

えぇー何で。あんなに長い道のりをあんなに快調に走ってきたのに。カースペースまであと数歩、何で動かないの。

押してもダメなら引いてみな、の教えに従って引いてみると、後ろには動く。
なんだ動くじゃないの、と再び押すと、やっぱり動かない。引いてみた分、カースペースからさらに後退した状態で動かなくなってしまったのだ。えぇーーー。どうするのこれ。

折悪しく夫も息子も留守。在宅していたところで、私にわからないことは彼らにもわからない。3人がかりで持ち上げて運び入れるという道もあるが、運び入れてどうするのか。後ろにしか進まなくなったカブを一生カースペースに飾っておくのか。

そこへ、向かいの家のお父さんが通りかかった。
小学生のお子さまを育てるお向かいさんご夫婦は、若いのに徳が高く、あぁ、ご近所付き合いとはこうやってやるものなのかと教えられることが多い。
そのお向かいさんが、どうしました、と気さくに声をかけてくれたので、苦境を訴えると、どれどれと見てくれた。そして、

ニュートラルになってます?」

……は?

お向かいさんがカチャカチャと何かを操作すると、頑として動かなかったカブがすんなり押し歩けるようになったではないか。
調子に乗ってシフトを上げて走ってきた私は、そのままエンジンを切ってしまっていた。Nに戻しておかないと前に動かなくなることを知らなかったのである。

カブをカースペースに入れるところまで手伝ってくれると、お向かいさんは私の無知を嗤うどころか、
「かっこいいですね」
と、お褒めの言葉を残して去って行った。あ、褒められたのはカブですが。

やれやれ助かった。
皆さんありがとう、やっと帰り着けたよ。
時刻は午後4時を回っていた。15kmの道のりに1時間半。

ここまで一緒に帰ってきながら、カブにはまださほどの愛着も感じられなかった。嬉しいのは自分が無事に帰れたことだった。
早くシャワーを浴びたかった。汗まみれの服を脱ぎ捨てると、右脚のふくらはぎに巨大なアザができていた。いつどうやってできたのかわからない。カブでできたことだけは確かである。

愛はひとりでに育つものじゃない。痛い思いをしながら学習するものだ。カブ愛の原点というものが私にもあるとすれば、それはこの日こしらえた巨大なアザだ。