アラ還原付日記(仮)

カブに乗ったらこうだった! 制限時速30kmで考えるアラ還からの生活。文学フリマ東京に出品する『アラ還原付日記(仮)』の試し読みブログです。

episode 025 エンストの記 ~納車1年

★アラ還原付日記(仮)その2「生まれ変わってもカブに乗れたら」の一部をご紹介しています★

 

2020年9月10日(木)
あなたは想像したことがあるだろうか。交差点の右折レーンでエンストして呆然とその場に固まってしまったのろまな原付初心者おばさんの気持ちを。私は考えたこともなかった。自分がその立場になるまでは。

悪夢の右折レーン

納車1周年も目の前というのに、右折はちっとも上達しなかった。
だって、道路の左端を時速30kmで走るじゃないですか。後続車は50kmとかそれ以上で次々と追い越していくじゃないですか。
どうやって右折レーンに出ろと。

買い出しの帰り、最後の右折ポイントをクリアすれば家はもうすぐというところまで来て、右折しそびれてしまったのだ。
仕方なく、次の交差点を狙うことにした。そこが本当に最後の右折のチャンス。逃したらとんでもなく遠回りをしないと家にはたどり着けない。9月10日というより8月41日といいたくなるような炎天下、これ以上無駄な回り道はしたくない。

運良く後続車が途切れ、右折レーンに移ることができた。
信号が赤なので停止した。青になったので、前の車に続いて進もうとした。
その時ですよ。

スロットル手応えなし。
え? えぇぇ?? ミドリ進まないんですけどーーー!!

そういえばいつの間にかエンジンが止まってる。
スタータースイッチを押しても、すかかかか……と虚しく空回りするばかり。
直進レーンは車がびゅんびゅん流れて道路の端にも戻れない。もしかしたら私の次にも右折を待つ車がいて、何やってんだこいつと思われていたかもしれない。けどうしろのことになんて1ミリも気が回らない。
しばしパニックのあと、対向車が途切れた隙を突き、降りて押し歩いて右折。

道端にミドリを駐め、あらためてスタータースイッチに挑む。
すかかかか……。
沈黙。
すかかかかかか……。
沈黙。

これがエンストというやつか。

そんな話は聞いてない。カブは丈夫で故障知らず、サラダオイルでも走るっていうじゃないの。それが正味1年も乗らないうちに動かなくなっちゃうなんて。
嘘でしょミドリ。起きろ。目を覚ませ。

そうだ。スタータースイッチ(指で押す)でエンジンがかからない場合、キックスターター(足で蹴る)を使えばかかるかも、と聞いたことがある。
バイクとしてはむしろ、キック一発颯爽と走り出すほうが普通のイメージだ。制限時速30kmの原付とはいえ、乗り始める前は、私もそのようにかっこよくキメる自分を思い描いていた。
しかし、指で押すだけのスイッチがあるならそっちのほうが断然ラク。クルマが怖い、右折が怖い、坂が怖い、一方通行が怖い、公道には怖いものがいっぱいだ。エンジンくらい楽にかけたいよ。というわけで、今日までキックでかけたことは一度もなかったのである。

まさかこんな局面で初の試みをするはめになろうとは。
たたんだ状態から引き出したことのないキックペダルを引き出し、ふんっ、と足を落としてみた。

すかっ。

すかっ。

すかっ……。

すかかか、ですらない。まるで手応えがない。試み自体が初めてなので、自分のやり方がまずくてかからないのか、それとも、どうやってもかからないのか、その見極めもつかない。

終わった……。

清き一票の行方

不幸中の幸いとしては、ここから家までなら何とか押して帰れそうなこと。
1つ前の右折ポイントだったら、そうはいかなかった。その先はとんでもない上り坂で、交通も激しく駐めて休める場所もなく、とてもじゃないがミドリを押し上げることはできない。本体だけで96㎏。リアトランクには残暑の友・ソルティライチの1.5リットルペットボトルを始め、数日分の食糧がぎゅうぎゅうに詰まっている。もちろん、背中のリュックにもだ。
こっちの道も上り坂ではあるのだが、1つ前の急坂に比べれば坂のうちに入らないほどのゆるやかさ。交通量も格段に少ないし、いまだ青々と夏の葉を広げる桜並木が日陰を作ってくれている。助かった。あとは心頭滅却して押し歩くのみ。がんばれミドリ、がんばれ自分。

が……。

いくらゆるい勾配とはいえ、上り坂は上り坂。重い。暑い。人間の体からこんなに汗が出るのかというほど汗ダラダラ。そりゃヘルメットに長袖ジャケット、グローブだもの。並木の日陰でどうにかなるもんじゃない。
気持ち悪くなってきて、ミドリを駐めて休んでいると、街宣車が近づいてきた。

折しも我が市は市長市議選を目前に控えていた。
現職市長の街宣車だった。四選を目指しての立候補だ。12年前、初出馬の時は投票が行われたが、あとの2回は無風で当選している。今回は新人が立候補を表明しているので選挙戦となる予定だ。長く市議を務めてきた女性で、私はその人に入れようと思っていた。

しかし。もし今、あの街宣車が止まってくれたら。
「どうしました?」と優しく声をかけ、手を貸してくれたら。
投票するよ。絶対投票する、現職市長に。こんなことで投票先を決めるのはあとにも先にも初めてだが、背に腹は代えられない。ここで行き倒れになるよりよっぽどましだ。

そんな私と、そしてミドリに一瞥もくれることなく、街宣車はゆっくり通り過ぎて行った。やる気のなさそうな運動員が音声を流しながら黙々と運転しているだけであった。

危ない危ない。つまらんことで清き一票を台無しにするとこだった。投票と引き換えに手を貸してもらおうなんてカブ乗りの風上にも置けぬ見下げ果てた根性。というか、手を貸してもらったら心から感謝すればよく、投票するかどうかは別の話でいいんじゃない?

気を取り直し、再びミドリを押し歩く。長くなだらかなこの坂さえ越えれば、残る道のりはせいぜい百メートルだ。
だが、坂は最後のところで急勾配になっていて、そこだけがどうしても越えられない。
ここまでだな、ミドリ。
私はスマホを取り出し、家で留守番している息子に電話した。

全力で直進せよ

大学3年の息子は、春以来のコロナ禍によりずっとリモート授業。
対面授業がない代わりに課題がいっぱいあり、新学期開始が遅れた関係で夏休みも短めらしい。そのうえ今日びの大学生は3年のうちから就職活動があるそうで、いつどんなところとオンラインでつながっているかわからない。
なので不意の呼び出しは極力控えたかった。が、親がこんなに大変な思いをして食糧を運んでるんだ。百メートルくらい出てきてくれても罰は当たらないと思うがどうだろう。

幸いにも電話はすぐつながった。事情を話し、今どのあたりにいるかを説明する。

ミドリに乗り始めて自分が少しでも進歩したと思えるのは、道順の説明だ。
それまでの私は、道順というものをぼんやり景色で覚えるのみで、自分では行かれても人には説明できないことが多かった。
でも、ミドリに乗って未知の道を行くには、県道*号を直進、**交差点を右折……と要所要所を押さえていかないとたちまち迷走する。それで次第に道順を「直進」「右折」「左折」で認識するようになった。

そうすると、人にも説明しやすい。
現在地まで息子に来てもらうには、小学生の頃、登校班の集合場所だったところを起点に説明するのがわかりやすそうだ。そこからは直進+左折1回でものの2分もかからないはず。

「わかった!」

やった。通じた。もうすぐ加勢が来るぞ、ミドリ。

ところが待てど暮らせど息子は現れない。
そんなに時間がかかるはずはない。再び電話してみると、息子はハァハァ息を切らしながら、

「おかあさんどこにいるのー(泣)」
「そっちはどこにいるの!」
「えぇーわかんないー」
「何が見えるか言ってみなさい!」

登校班の集合場所を起点に、息子はアサッテの方角へ全力で直進していたことが判明した。
単位は、卒論は、就職は、だいじょぶだろうか、不安……。

ようやく家へたどり着き、しばらく床に倒れ込んだあと、バイクショップに電話。ちょうど12ヵ月点検のハガキをもらっていたところでもあり、引き取り、修理、12ヵ月点検、オイル交換をまとめてお願いしてみたらOKということに。ただし引き取りは今日の明日とはいかず、来週月曜になるとのこと。

2020年9月14日(月)
ミドリをフクピカで磨きながら待っていると、バイクショップの軽トラが引き取りに来てくれる。なんと、整備士さん直々。限られた人数で回してるのね。
そのわりには情報の共有がいまいちで、「12ヵ月点検」と「オイル交換」は伝わってたけど肝心の「エンスト」が伝わっていなかった。再度状況を説明すると、後刻電話で診断結果を知らせていただけることに。

ミドリは軽トラに積まれドナドナされていった。いや、ドナドナではないのだが、なんかそれはそういう哀愁に満ちた光景だった。

3時間ほどで電話があった。以下、概略。

・エンジンは一応かかった。
・しかし調べてみるとエンジン内部の汚れが原因であることが判明。
・エンジン内部の汚れは、
 ①短距離しか乗らない
 ②ガソリンを口切りいっぱい入れがち
 ③傾斜のあるところに駐輪しがち
 などの原因で生じやすい。
・部品を取り寄せて修理するので日数がかかる。
・保証期間内なので無料だが自費だと3万円くらいかかる。

ひぇぇ。
「自費なら3万」もひぇぇだけど。
汚れの原因とされる①~③、心当たりありすぎでびっくりだ。

まず①、短距離しか乗らない。これはまさに、コロナ禍以来遠出も諦め、ほぼ食料品日用品の買い出しにしか乗っていなかったことによる。
よく行くドンキが片道2km、地元イオンが3km、気晴らしに隣町イオンまで足をのばしてもせいぜい7km弱。そんな不完全燃焼な乗り方をかれこれ半年も続けてきたのだ。それが汚れの原因になるなら、そりゃ汚れまくりもしようというもの。

次に②、ガソリン口切りいっぱい。はいはいはい、いつの頃からかチャレンジしちゃってました。だって、少しでも先延ばしにしたいじゃないですか、次の給油。それにはなるべく限界まで入れとかないと。
それに、スーパーカブ50の燃料タンク容量は4.3リットルということになっている。すっからかんになるまで乗って給油すればそれだけ入る理屈だ。けど実際には、燃料計がEの字にかかるまで(ハラハラしながら)乗っても、3リットルちょいしか入ったことがない。もうちょっとがんばってもうちょっと入れられないもんかと、つい闘志を燃やしちゃうんですよね。

そして③、傾斜のあるところに駐輪。ずばり、毎日ミドリを駐めている我が家のカースペースが傾斜付きなのだ。洗車の時、水が流れて行きやすいように設計されたのだろう。うちには車はないので、そこはミドリの専用スペース。かれこれ1年、真ん真ん中に堂々と駐めていた。
家屋寄りのほうなら、少しは水平になってるんだけど、そこにはがらくた(古いプランターとか)がたまっていて、長く見て見ぬふりをしていた。

そうかー。そういう扱いを続けていると早晩エンストしちゃうのか。さっそく対策せねば。年1ペースで右折レーン立ち往生とか怖くて乗れないですから。地獄の押し歩きも二度と御免だ。

2020年9月18日(金)
夕方、バイクショップから電話。エンジン修理、12ヵ月点検、オイル交換すべて完了とのこと。明日取りに行く。

2020年9月19日(土)
元気になったミドリと5日ぶりの再会。
カースペースのがらくたを整理して、水平なところに置けるよう改革する。

2020年9月20日(日)
市長市議選投開票。
現職市長は五千票以上の差で新人候補に敗れた。

2020年9月23日(水)
祝・納車1周年!!