アラ還原付日記(仮)

カブに乗ったらこうだった! 制限時速30kmで考えるアラ還からの生活。文学フリマ東京に出品する『アラ還原付日記(仮)』の試し読みブログです。

episode 002 教えて先輩! ~納車まで1403日

★アラ還原付日記(仮)その1「崖っぷちペーパー原付ライダー、スーパーカブに乗る」の一部をご紹介しています★

 

いやいやいや。
50代も半ばで免許を取ったところで、何年も運転できないでしょ。
車があること前提で引っ越し先を決めたとしても、生活できなくなるのは時間の問題だ。

もっと困るのは、「もう運転は無理」という現実から目をそらし、「車は手放すべき」という決断をズルズルと先延ばしにして、自分はともかく他人の身の安全を脅かすことだ。

高齢ドライバー、歩道に乱入

うちの近所でも、高齢ドライバーの車が歩道を走ってきて騒然としたことがある。
車道とは植え込みで隔てられた、ちょっと広めの立派な歩道で、車1台くらいの幅はあるので、1つの車線と錯覚してしまったのもわからなくはない。しかし本当に進入してしまった車を見たのは、あとにも先にもその時が初めてだ。
歩行者に止められてハンドルを握ったまま固まっていた。あ~あ~もう免許返納すればいいのに、とその時は思ったが、なかなかそうは踏み切れないそれぞれの事情があるのだろう。ウッカリ今から乗り始めてしまったら、あの高齢ドライバーは私だった、ということになりかねない。

というかその前に、そもそも免許が取れるのか。
あたりを見回しても、40過ぎで取ったという人は何人かいるけど、50過ぎとなるとさすがに実例を知らない。50代半ばが最後のチャンス、なんていうのは、自分の都合に引き寄せた勝手な思い込みで、最後のチャンスはもう終わっているのかもしれない。

そんなある日のことだ。
とある文筆の先輩から、「最近、免許を取った」と聞いたのは。

50代、教習チャレンジのリアル

その先輩は、作品名をいくつか挙げればみんなびっくりするような優れたお仕事を長年続けてこられた方で、本来、私が直接口をきけるような方ではない。
だが実年齢はわりと近いので、馴れ馴れしいけど一方的にお友達ともお姉さまとも慕わせてもらっている。

その先輩が。
免許を。
最近取ったということは。
ちょうど今の私くらいで志を立て、教習所に通い、数々のハードルを越えて最終的な試験に合格したということではないか。

免許取得の決意にあたり、先輩は教習所へ相談に行ったそうだ。
「この年齢で取れますか?」
回答はきわめてあっさり、「取れますよ」だったという。
だが、周囲を取り巻く20代30代、何なら10代と比べて、技能も学科もやはり時間がかかり、ついに卒業検定をクリアした時には拍手で讃えられたそうである。
拍手か。それほどまでの偉業なのか、50代の教習チャレンジって。

しかし私が本当に胸を衝かれたのは、何が先輩のチャレンジを支えたのかを聞いた時だ。

「親の介護に、運転ができたほうがいいと思って」

お互いの年齢が近ければ、親の年齢も相応に近い。
先輩もまた、介護問題を抱えていたとしても何の不思議もなかったのである。
そうか。50代まで免許なしで来た人がにわかに取得を決意するとすれば、その代表的理由は「介護」、それしか考えられないではないか。それゆえにこそ、子世代に交じっての教習も試験もがんばれるのだ。

「介護のため」という発想は、私にはなかった。
自宅は神奈川、実家は千葉。もともと運転の好きな人なら車でひとっ飛びなのかもしれないが、私には電車しか考えられない。片道2時間ほどの道中、本を読んだりスマホを見たり、爆睡してしまったりできるのもありがたかった。自分で運転していたらそうはいかない。往復は電車、老親の移動には適宜タクシーを手配、と割り切るのが現実的で、たとえ今すぐ免許と車を天から授けられたとしても、介護のために乗って行くことはないであろう。

つまりは100パーセント「自分のため」。
自分が本当に欲しいか、そして、取るまでがんばれるか。手放す時期まで含めて自分で判断が下せるか。
それが私にとっての運転免許だったのだ。

「自分のため」にどこまでやれる?

そこで、あらためて考えてみた。
一般に「免許を取る」といったら普通自動車免許のことだが、世の中にはもっといろいろな運転免許がある。
その中でいちばん簡単な、1日で、筆記試験だけで取れるのが原付免許だ。
「簡単」といってもそれは手間と時間の話であって、誰でも受かるわけでもなければ、公道における責任が軽いわけでもない。その原付免許すら取れなかったら、普通免許なんてとうてい無理と悟るのが理性ってものではないか。

まず原付免許が取れるかどうか。
普通免許を目指すかどうかはその結果を受けて考えよう。
こうして私の原付免許チャレンジが始まった。